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2007年11月25日

11月22日 島本弘子ディナーショー

11月22日 島本弘子ディナーショーを観に、新都ホテルに行ってきました。simamotohiroko.gif

市内は、三連休前という事もあってか、渋滞していて、ホテルにたどり着いた時には、ディナーが、始まっていました。ズワイ蟹のサラダ仕立てに始まるフレンチで、きのこのポタージュスープが、冷えた体においしく感じられました。ドリンクは数種類の中から、セレクトする形で、白ワインを頂きました。デザートの後、さらにショーに備えて、赤ワインを注文し談笑しているところに、ピアノ演奏が始まり、照明の落とされた中、赤いロングドレス姿の島本弘子さんの登場です。オープニングは、サントワマミー♪ その、風貌、出で立ちは、往年の越路吹雪さんを、思わせます。京都出身ということで、客席には、同窓生の方々も多いようで、年齢層が結構高めです。シャンソンというジャンルそのものが、人生の喜怒哀楽を語る深い味わいのものであるので、自然と円熟した層になってしまうのかもしれません。四条河原町下がったところのシャンソンライブハウス『巴里野郎』の客筋もおおむね年配で、30そこそこで出入りしていた私は結構浮いていましたし。先頃、公開されたピアフの映画の影響で、もっと若いシャンソンファンも増えるといいなぁと思います。シャンソンは、その一曲の中にドラマを観るとこができ、歌い手はそれを演じる役者という印象があります。そういえば、島本さんは、新劇を志して上京。舞台芸術学院を卒業後、劇団「新劇場」を経て、シャンソンを宇井あきら氏に師事。というキャリアの方です。俳優としての経験が、きっと歌にも反映するのでしょう。シンプルなステージ上でも、つかの間、巴里の雑踏が、舞い落ちる枯葉が、リヨン駅のざわめきが、降りしきる雪が、見えた?気がします。日本語で、なおかつ訳詩も原詩により忠実に歌ってもらえるのは、なによりです。ピアフの歌声は好きですが、歌詞が、同時通訳できない問題がありますから(^o^)フランス語は学生時分に4年間も習ったのですが、全く身についていません。ケセラセラ~♪ というフレーズを理解しただけで満足してしまいましたので…。
島本さんは“人生を、愛を、自由を、人間らしく生きる喜びを”というテーマを一貫して掲げてらっしゃるそうです。よく知る曲目が多い中、はじめて聴く歌もあり、十分に楽しめました。私も今年度のテーマソングを決めました。といっても、もう師走ですが。 「水に流して」 ♪私の夢と命は すべて今の今から始まるのよ~~~♪ 忘年会のカラオケで挑戦してみる事にしましょう。riyonnekimade.gif
タクシー!リヨン駅まで行って~♪

2007年11月18日

11月15日 ボージョレ・ヌーヴォー

11月15日 第三木曜日 ボージョレ・ヴィラージュ ヌーヴォーを飲みました。wain.gif

今年は春の好天続きで、葡萄は例年より早く生長しましたが、夏の涼しい気候により、‘06より収穫量は少ないそうです。
ヌーヴォーを日本が最も早く飲めるということで、ブームが起こったのは、何時の頃だったでしょう。かれこれ20年は経っているかと思いますが、その頃の私は、ご他聞にもれずバブリー気分を満喫していました。ヌーヴォーを1ダースほど買い込んで、よそのお家へ持って行き、パーティーしましょう!なんてやっていました。後から聞いた話では、申し訳ないことに、そこの奥様は、私の勝手な申し出のため、急遽ワイングラスを、1ダースも買い込むはめになったそうです。その後そんなにワイングラスを一度に使うことなんてなくて、きっと、持て余しているでしょうねぇ。すみませんでした。やりたきゃ、自分の家でやれって感じですよねぇ。能天気で何も考えてなかったものですから…。
その頃から、ほぼ例年飲み続けているので、普通のボージョレ・ヌーヴォーは少し食傷ぎみという感じがして、ちょっとしっかりした味わいのヴィラージュにしました。今年のチョイスは、ボージョレーの帝王といわれる、ジョルジュ デュブッフ氏が信頼をよせる卓越した5つのドメーヌ厳選葡萄から造られた限定品というワインです。チキンソテーと共に、戴きました。際立つラズベリーや赤スグリのアロマに、黒スグリやクラッシュしたイチゴの香りも…なんて表現は専門家にまかせておくにしても、とてもフルーティであることは私にもわかりました。ボージョレ・ヌーヴォー独特の口に残る軽い酸味や渋みがなく、ほどほどにしっかりした感じのあとくちが心地よかったです。今年の収穫に感謝!来年もまた飲めますように!

2007年11月15日

11月11日 オリヲン座からの招待状

11月11日 映画「オリヲン座からの招待状」を観ました。miyazawa-rie.gif

ここ、西陣を舞台に昭和のテレビの台頭などにより、映画産業が斜陽になる中、周囲の陰口にもめげず、映画館を守り続けた男女の物語です。
館主 豊田松蔵(宇崎竜童)亡き後、その意志を継ぎ、弟子 留吉(加瀬亮)と先代の妻(宮沢りえ)が、貧乏な中でも映画を愛し、互いを思いやり、小さな幸せを見つけて喜びあい、生き続けていく様が描かれていました。
映画の中で繰り返し登場する映画「無法松の一生」が、この映画の主題とも関っていると思うのですが、いかんせん、私は観たことがありません。人力車の車輪の動きや、太鼓を打ち鳴らす様が、印象的かと思いますが、またDVDでも借りてみることにします。
京都が舞台となると、どうしても、京都弁や、撮影場所が気になってしまいます。皆、頑張って西陣の京都弁(祇園町の言葉ではなく)を話してらっしゃいましたが、ちょっと微妙ではありました。まぁ、致し方ないレベルかと思います。
病院から病人をおんぶして、鴨川沿いを抜けて西陣へ帰り着くのには、笑ってしまいました。それ遠すぎでしょ~。絵的には綺麗で、他府県の人はさらっと見てしまうのでしょうが、二条の東宝シネマズでは、皆いっせいに「おい、おい。ちょっと待て。」と内心思ったに違いありません。
映像は懐かしくピアノの音と共に、子供の頃を思い出させてくれました。足踏みミシンが部屋の隅に置かれていて、うちにも長く置いてあって、母が使っていたことが思い出されました。蚊帳の中に蛍を飛ばして楽しんだ事や、鰹節の削り器、土間、路地を走りまわった記憶(私は西陣ではなく、祇園でしたが)など、貧しかったけど、きらきら水面に写る日の光のような思い出です。
話は結構飛んでしまって、閉館の場面へと変わってしまうのだけど、その間、色々な事があったはずで、周囲の人たちの理解が得られたのか、得られなかったのか、最後には結構人々が集まっていたが、愛され惜しまれて閉館するのか?幼なじみの今では冷めてしまった夫婦は、本当に貧しさからお互いを引き合っていただけなのか?そんなことはもうどうでもよくて、主人公たちの純粋な気持ちと守り抜いた事実があればそれだけでよかったのか?という疑問が湧いてくるほど、ひたすらシンプルな人生の描き方であったかと思います。観客の想像にかなり委ねている感じが、日本的で上品というべきか、問題棚上げでふわぁーと流れてファジーすぎるというか、微妙でした。原作が短編なのを引っ張って映画化したせいもあるのかしらん?役者が皆さんうまいから、せりふなき台詞を語っていて、観客が想像を膨らませて、楽しもうとすれば、楽しめるのかもしれません。時代の雰囲気出していて、まずまず良かったねという感じでしょうか?
宮沢りえさんの作品は、近いところでは、「たそがれ清兵衛」「トニー滝谷」を観ましたが、危うい時期から心配し、応援していました(本人になんら働きかけをしたわけではありません。)が、いい女優さんになったなぁと勝手に、ほっとしています。華原朋ちゃんも、なんとか復帰してほしい…。って、関係ないか?

2007年11月07日

11月5日 エディット・ピアフ

11月5日 「エディット・ピアフ~愛の讃歌~」
映画「エディット・ピアフ~愛の讃歌~」を観ました。piahu.gif

いくつかの時代を縦横無尽に行き来する、構成になっているのが、少し、ややこしい感じがして、最初は年代に注意して、観ていましたが、煩わしくなり、あまり時代の流れを意識せずにそのまま受け止めた方が、監督の意向に沿っているのかも?と考えると、楽に観ることができました。でも人物名の類似や、似たような顔(西洋人が、似たような顔に見えてしまう私個人の問題かも?)はちょっとややこしいかも?
主演のマリオン・コティヤールの迫真の怪演?は、見事で、本物のピアフに見えてしまいました。ピアフが憑いてるんじゃないかしらん。これってピアフの声よね?と思っても、舌やのどの動きが、まさに彼女が歌っていると感じられました。実際、口パクだけでなく、歌っているシーンもあったようですが。年齢も若い時から、ばあさまのような40代まで、特殊メークも含め、俳優って大変ねぇと感心します。
いくつかのエピソードなどを省いて、ボクサー、マルセル・セルダンとの愛を象徴的に描いている感じで、彼の死のあと、ふらふらと部屋を歩き、愛の讃歌を歌うステージへと、つながるシーンは、なかなかの演出ですねぇ。
フランスで活躍する日本人カメラマン永田鉄男さんが撮影監督として参加されていたそうで、やわらかい光を演出する為に、ティッシュを床に敷き詰め、そこに光を反射させて、役者を撮っていたそうです。ノスタルジックな懐かしいような、空気の色はそんな風に創られていたんですねぇ。撮影現場を想像するとちょっと、おもしろいけど。
ピアフの歌が好きだから、観ておかなきゃと思って久しぶりの映画館に足を運びましたが、想像通りの人生と映画という感想です。強烈な個性には軽い嫉妬心さえ感じます。
ラストの「水に流して」の曲のシーンは、勇気づけられる思いがしました。愛の讃歌で終わってほしいと思う人の方が、もしかしたら、多いのかもしれませんが、私的には、あの歌で終わられると、重いなぁと感じてしまうので、救われた感じです。
運命に翻弄されながらも、ピュアでわがままなぐらい自由に、自分の力で生きた人生に、共感します(私はあんなにも好き勝手でも破滅的でもないと思うけど)。でも今の時代に共感する人は、少ないかもしれませんねぇ。
死の床で蘇る思い出や、人生への思いというものは、どんなものなのでしょう?自分ではまだ経験してないから、想像しにくいけれど、この映画の構成のようにランダムに過去の記憶がフラッシュバックするのでしょうか?不幸も幸せも多くの体験を経た人生の方が、豊かで、回想するには感慨深いでしょうね。不幸を知ると幸せの味わいも濃くなるかと考えます。いずれ来るその時に、私自身は、何を思うのでしょうねぇと考えさせられます。でも、回想する間もない死に方というのもあるし、こればかりはわかりませんね。できたら、少し自分の人生を振り返って、いろいろあったけど、楽しかったなと泣き笑いで死にたいな。