Search


2010年01月31日

愛妻家の日 「今度は愛妻家」

1月31日は、愛妻家の日です。
1月の1をアルファベットのIに見立て、「あい(I)さい(31)」の語呂合わせから、日本愛妻家協会が制定したそうです。

日本愛妻家協会なんてのがあるのですね!びっくり。どんな活動をしているのでしょう?って、サイトを見てみたら、結構いい感じでした。


妻というもっとも身近な赤の他人を大切にする人が増えると、世界はもう少し豊かで平和になるかもしれないね。logo_01_a.jpg

という訳で、映画「今度は愛妻家」を観た話です。

あらすじ
かつては売れっ子カメラマンだった北見俊介(豊川悦司)は、今はロクに仕事もせずに怠惰な毎日を送っている。健康マニアの妻さくら(薬師丸ひろ子)は、そんな夫に文句を言いながらも世話を焼いている。

ある日、友達との箱根旅行準備であたふたするさくらに、軽口を叩く俊介。そんな夫にさくらは、“子供を作る気がないなら、別れて”と悲しそうに告げる。いつもと違う妻の態度に、何とかその場を取り繕う俊介。
さくらが出掛けた後、オーディション用の写真撮影にやってきた女優志願の蘭子(水川あさみ)といい雰囲気になる俊介。そこへ財布を忘れたさくらが戻ってきて、ついに愛想を尽かされてしまう。そのまま旅行から戻ってこないさくら。
最初は独身生活を楽しんでいた俊介だったが、次第に妻のいない生活に苛立ちを覚え始める。そんな俊介を心配そうに見守るのは助手の誠(浜田岳)とオカマの文太(石橋蓮司)。

突然、戻ってきたさくらから、一年前から好きな人がいる”と告白され、離婚記念の写真を撮って欲しいと言われる。一年ぶりにカメラを手にとり、写真を撮り始める俊介。
“ねえ、写真撮ってよ。”昨年のクリスマス直前に、さくらに半ば強引に連れていかれた子作りのための沖縄旅行で言われた言葉を思い出す俊介。
あれから1年。取り戻せない時間の中、初めて自分の想いをさくらに告げ、抱きしめるのですが・・・。(観てない人の事を考えて、ネタバレしないように書くのは、結構大変。)
p7741.jpg

挿入歌として、口ずさんでいるのは、陽水の「夢の中へ」。エンディングは同じく陽水の「赤い目のクラウン」です。
中谷まゆみ原作の舞台劇を行定勲監督が映画化したものです。
行定勲監督の作品を観るのは、「春の雪」以来です。あの映画は、私の原作への思い入れが強すぎて、そこはちょっと違うなんて、感じたものでした。

この映画は、主人公と同年代の男性が観ると、自身と主人公を照らし合わせ、妻のありがたみが身に沁み「今度は愛妻家」になろうなんて考えたりして良いかもしれません(^^)

ちょっとぐだぐだしたシーンがあったりもしましたが、積み重ねられた夫婦の縁(えにし)の重さなんかを感じてしまいました。あっ、そういうことか!とネタに気づいた瞬間に、個人的には”しまった”と思ったのですが、いろんなことがあっても人生は続いていったり、続いてゆかなかったりするから、限りある生をまっとうしなくちゃね~。

石橋蓮司さんのオカマが、とってもハマっていて、助演男優賞!です。薬師丸ひろ子さんを可愛く、可愛く撮っていて、確かに可愛いのですが、1981年の”快感!”から歳月が経っていることを顔に感じてしまい、やけに切なく思えました。30年近く経っているのですから、無理からぬ事ですけどね。人の事言えないし・・・。

日本愛妻家協会では、1月31日午後8時9分が世界一斉ハグタイムだそうです(^^)
相手のいる方はハグしてみてはいかがでしょう?いない方も、想定して?ハグしてみるのもいいかもしれません。何かが変わるかもしれません。

2010年01月30日

孝明天皇祭

孝明天皇祭 (一般では何回忌というところを、天皇及び皇族では「何年祭」という言い方をするそうです。)
慶応2年12月25日(1867年1月30日)、孝明天皇(こうめいてんのう) が亡くなりました。享年36(満35歳没)。死因は天然痘と診断されましたが、毒殺説もあります。
父・仁孝天皇の崩御を受け践祚しました。祖父(光格天皇)・父の遺志を継いで公家の学問所である学習院を創設しました。
お生まれになった時には、やはり胞衣を埋納されています。東山区五条通東大路西入北側(若宮八幡宮内)にありました。p7744.jpgp7746.jpgp7745.jpg
横の木は、2本の木が、交わって1本になってしまったものです。p7743.jpgp7742.jpg

2010年01月29日

光格天皇御胞塚

清荒神 護浄院には、光格天皇の御胞塚(おんえなづか)がありました。p7750.jpg
p7747.jpg
胞衣とは、胎児を包んでいた膜や胎盤のことで、後産として体外に排出されるものですが、これを、かわらけに入れ、のし結びや小刀を副えて吉方の土中に納める習俗があったそうです。健やかなご成育を祈願するものだそうです。

そういえば、西院の春日神社にも、仁孝天皇御胞衣塚があったようです。

光格天皇(1771~1840)は、東山天皇の孫 閑院宮典仁親王の第六皇子です。明治天皇の3代前です。後桃園天皇の養子となって、第119代の天皇となりました。天皇は、天明の大火で焼失した京都御所を平安京大内裏の古制に則って再建し、朝儀復興を図るなど朝廷の権威の復興に努めました。実父親王に太上天皇号を贈ろうとした事件(尊号一件)で江戸の幕府との関係に緊張をもたらしています。

2010年01月28日

護浄院 初荒神

毎月28日は三宝荒神の縁日で、一年で最初の縁日である1月28日は「初荒神」と呼ばれています。荒神は仏・法・僧の三宝の守護神とされるために三宝荒神とも呼ばれています。三宝荒神はまた、屋敷神、あるいは地神(じがみ)と考えられ、近世になると、カマドの神とされ、台所の火の用心の神さんとして祀られています。p7750.jpg
河原町通荒神口を西へ50mほど入った鴨沂高校の東側にある護浄院は、きよしこうじんさん呼ばれる荒神さんです。
宝亀2年(771年)に光仁天皇の子の開成皇子(桓武天皇の異母兄)が仏門に帰依し、摂津国勝尾山(現在の大阪府箕面市)の草庵にて修行中、現れた荒神に感得され、自らその荒神を模刻し三宝荒神尊として一宇を建て祀ったのが始まりとされています。
後小松天皇の勅命により明徳元年(1390年)に乗厳律師が下京の醒ヶ井高辻付近に移し、その後、慶長5年(1600年)に現在の地へ移転しています。p7749.jpg
火の用心の御札は、以前は愛宕さんのを、知り合いに頼んで買ってきてもらっていたのですが、引っ越した事から、このところ台所に無くて、どうもよろしくないと感じていたものですから、これからはこちらのを貼っておこうかと、求める事にしました。p7748.jpg
火の用心 御札 小 300円なり。


 

2010年01月27日

龍馬と抹茶八つ橋

宇治抹茶金時餡を宇治抹茶味の生八つ橋で包んだ 「龍馬 日本の夜明け」なる生八つ橋が、井筒八ッ橋本舗から昨年より期間限定で出ちょります。p7751.jpg
生じゃない堅い八つ橋の龍馬バージョンも出ゆうが。

龍馬と抹茶の間の因果関係は、ようわからんがやけんど・・・(^^)

2010年01月26日

京の冬の旅 2010 東寺 小子房

京の冬の旅 2010 では、東寺は五重塔の他に、小子房の特別拝観があります。講堂の西側にある本房の南隣です。
本房p7758.jpg
左へp7757.jpgp7753.jpg
p7754.jpg
小子房は昭和9年に再建された建物です。p7756.jpg
庭は、7代目小川治兵衛によるものです。庭の奥に蓮華門があります。弘法大師は晩年、この門から、高野山に向かったそうです。隠棲のため、東寺を後にする空海を念持仏として山院に祀っていた不動明王が、見送りに現れたそうです。その足元は道に蓮華の花が咲いたことから、この門を蓮華門と呼ぶようになったそうです。
内部を飾っているのは、日本画家・堂本印象の襖絵です。5室には水墨画が、奥の「勅使の間」には金箔地に極彩色の絵が描かれ、御修法時に天皇の御衣を入れる唐櫃も展示されています。
勅使門p7755.jpg
この門の正面の部屋は鷲が描かれている「鷲の間」。その他の部屋は「牡丹の間」「瓜の間」「枇杷の間」「雛鶏の間」の水墨画が和める感じです。「勅使の間」だけが、雅やかに光り輝いている感じです。p7752.jpg
かつては、後宇多法王や光厳上皇が住まいされていたこともあったそうです。

2010年01月25日

菅原道真

延喜元年(901年)1月25日、右大臣・菅原道真が醍醐天皇によって九州の大宰府への左遷を言い渡され、旅立ちました。
道真は無念の思いを抱きながら、2年後の延喜3年(903年)2月25日に亡くなっています。p7787.jpg
梅の掛け軸と並べてみました。p7786.jpg


2010年01月24日

ちりめん山椒

枚方へ行く用事があったので、途中、八幡に立ち寄ってみました。
お目当ては、私の描いた山椒のイラストの入ったちりめん山椒です。

八幡市美濃山一ノ谷にあるスポーツアベニュー内に、朝採り市場なる地元の野菜などの直売所があるそうで、そちらで販売されていると、聞いていたのですが。p7759.jpg
ありました!突き当りの棚です。p7760.jpg
買い占めて、友達に配ってしまいました(^^)

2010年01月23日

寺田屋 龍馬襲撃

慶応2年1月21日(1866年)薩摩藩と長州藩の間で同盟が結ばれました。p7763.jpg
長州藩の木戸孝允(当時は桂小五郎)が、その一切の約定を記した書状を坂本竜馬に送り、裏書を求めました。約定に間違いないという朱筆の裏書を、龍馬が書き記したものが、宮内庁書陵部に現存してます。この裏書を書く前に、龍馬は、襲われているようです。
p7779.jpg
慶応2年1月23日、伏見の寺田屋に宿泊していた坂本龍馬を伏見奉行配下の捕り方が捕縛ないしは暗殺しようとしました。p7778.jpg
女将のお登勢
p7768.jpg
異変に気づいた入浴中のお龍は、p7767.jpg
p7777.jpg
裏階段を駆け上がり、p7776.jpg
龍馬たちに急を知らせました。
p7775.jpg
龍馬は所持したピストルを利用して多数の捕り方相手に大乱闘となり、p7762.jpg
手傷を負いながら も屋根づたいに逃げ、川端の材木小屋に隠れました。
一緒に逃げた長州藩士の三吉慎蔵は、あまりの捕り方の多さに、もはやこれまでと切腹しようとしましたが、龍馬はこれを押し留めて伏見薩摩藩邸に駆け込むように指示し、龍馬は手傷を負っていることもあり、その場で救援を待ちました。
p7766.jpgp7765.jpg
知らせを聞いた藩邸では、濠川(ほりかわ)沿いに舟を出し、p7764.jpg
龍馬を救助して伏見薩摩藩邸に匿いました。

*幕末当時の寺田屋の建物は鳥羽・伏見の戦いの兵火で焼失しており、現在の建物は後の時代に当時の敷地の西隣に建てられたものであると結論づけられました。p7772.jpg
事件の「弾痕」「刀傷」跡の再現?p7771.jpg
ピストルのレプリカp7773.jpg
この寺田屋は、現在も宿泊可能ですが、防犯問題が発生するだろうと、探してみたら、ありました。p7761.jpg
柱上部や、下部に、近代的な?鍵がついていました。これは、龍馬の時代にはなかったであろうと思います。

京都市の市有地となっている東隣の寺田屋跡地には、石碑や像などが建てられています。p7769.jpg

高知では、「土佐・龍馬であい博」が始まりよったそうです(^^)
あちらの友人によると、「まだちょっと、エンジンかかりよらん感じなが~。」ということでした。
龍馬伝については、「龍馬は、ちくっとイントネーションが可笑しいけんど、他の人は上手に話しゆうね。」と、言うちょりました。

2010年01月22日

豊臣秀長と大光院

天正19年1月22日(1591年2月15日)豊臣秀吉の弟の豊臣秀長が亡くなりました。後年、大和郡山城を与えられ、従二位権大納言に叙せられて、大和大納言と呼ばれていました。
温厚な人柄で兄の補佐役として諸大名からも頼りにされる人格者だったようです。「内々の儀は宗易(千利休)、公儀の事は宰相(秀長)」といわれる存在であったのに、早くに病死してしまったのは、残念なことです。朝鮮との戦いに反対していましたが、秀長の死の2ヶ月後、出兵されています。
その菩提寺は、当初は大和郡山にありましたが、藤堂高虎によって北区紫野大徳寺町に移されました。p7780.jpgp7781.jpg
文政7年(1824年)に焼失しましたが、後に藤堂家によって再建され、現在は大徳寺山内にあります。

2010年01月21日

京の冬の旅 2010 東寺 五重塔 続編

五重塔に合わせて、通常公開の金堂・講堂の拝観をしました。
金堂p7784.jpg
金堂は、東寺一山の本堂で、延暦15年(796年)に創建されたと伝えられています。平安京遷都とともに、朝廷の造営で最初に工事が始められています。空海が東寺を賜ったときには、すでにあったことになります。現存の建物は慶長8年(1603年)、豊臣秀頼の寄進によって再建したもので、本尊の薬師如来坐像と日光菩薩、月光菩薩の両脇侍像が安置されています。本尊の台座の周囲には、十二神将像が配されています。東寺とともに西寺も創建されたのですから、西寺には、どんな仏像が安置されていたのでしょう?
講堂p7783.jpg
現在の講堂は室町時代 延徳3年(1491年)に再建された建物です。中に入るとちょっとびっくりするほどの仏像の数です。大日如来を中心に二十一尊の仏様がいらっしゃいます。立体曼荼羅というそうで、弘法大師の密教の教えを表しているそうです。
(エンドレスについてしまう床の靴跡を、これまたエンドレスに拭き続ける清掃の人が、やたら気になってしまいましたが・・・。)

2010年01月20日

京の冬の旅 2010 東寺 五重塔

823年(弘仁14)1月19日、嵯峨天皇は 官寺だった東寺を、空海(弘法大師)に下賜されました。
空海50歳の時です。空海は東寺を真言密教の根本道場とし、講堂、五重塔の工事に着手しました。

世界遺産でもあり、幕末期 鳥羽伏見の戦い時に官軍の本営が置かれた事などから、今年も冬の旅の中に五重塔と、小子房が入っています。p7785.jpg
五重塔は過去に4回も焼失していて、現在の塔は5代目です。
1644年に徳川家光の寄進で再建され、現在に至っている総高55mの塔です。
大日如来に見立てた心柱を守るように4体の如来像などを安置した初層内部の拝観となります。
p7782.jpg
ピラサンカの実が、重そうに木一杯になっていました。

身は高野 心は東寺に おさめをく  
      大師の誓い 新たなり

明日に続きます。

2010年01月19日

初観音

1月18日は、「初観音」の日だそうです。
観音は観世音菩薩のことですが、慈悲深い徳があって、世の衆生の救いの求めに応じて大慈大悲を垂れ、三十三身に身を現じるといわれています。一般的に、お姿が女性的で、親しみやすく感じます。
京都では、清水寺、行願寺、新熊野観音寺、六波羅蜜寺、六角堂(頂法寺)、法厳寺などにお参りするようですね。怠慢して、自宅の観音さんの掛け軸で済ませてしまいました。p7788.jpg

2010年01月18日

京の冬の旅 2010 金戒光明寺 続編

冬の旅のパンフレット表紙になっている文殊菩薩や吉備観音、そして平成23年の法然上人八百年大遠忌記念として整備された紫雲の庭も見学しました。p7789.jpg
紫雲の庭は、法然上人の生涯と浄土宗の広がりを枯山水の中で表現したものです。三つの部分に分かれた構成になっています。
「幼少時代 美作の国」p7796.jpg
それぞれの石が、父・母・本人(勢至丸)など、人物を表しています。
「修行時代 比叡山延暦寺」写真左上p7795.jpg
「浄土開宗 金戒光明寺の興隆」p7794.jpg
池は琵琶湖を表していますが、元々は熊谷直実がこの地で出家した時、鎧を洗った池で、「鎧池」といわれています。
法然上人43歳の承安5(1175年)、比叡山の修行を終えてこの地で念仏をされた時、紫雲が全山にたなびき、光明があたりを照らしたことから、ここに浄土宗最初の念仏道場を開いたとのことで、この庭の名前の由来となっています。

2010年01月17日

京の冬の旅 2010 金戒光明寺

今年も非公開文化財特別公開の京の冬の旅が始まっています。
法然上人がはじめて草庵を営まれた地である金戒光明寺も、幕末というテーマの中で、公開されています。p7799.jpgp7798.jpg
幕末期、幕府から京都守護職に任命された会津藩主・松平容保(かたもり)は、ここに本陣を構えました。「謁見の間」では、近藤勇・芹沢鴨らが容保に拝謁し、新撰組が誕生しました。
p7790.jpg
(芹沢さ~ん、ここで、刀 抜かないでくださいね。拝謁するんですから~。)

ここに、千名の軍隊が駐屯していたそうです。当時を想像してみると、感慨深いですね。軍隊のその後も・・・。
裏山の墓地には黒谷会津藩墓地がありますが、龍馬の暗殺舞台となった近江屋の主・井口新助(いぐちしんすけ)の墓もあるそうです。 

冨岡鉄斎の屏風や、しかけのある虎の襖絵も圧巻でした。p7797.jpg
つづく

2010年01月16日

閻魔賽日

初閻魔 (閻魔賽日、十王詣)
正月16日をいい、獄の釜の蓋が開いて鬼も亡者も休むとされる日とされています。
正月16日と7月16日の閻魔賽日(えんまさいにち)に、寺院で十王図や地獄相変図を拝んだり、閻魔堂に参詣したりするそうです。
16日は仕事があるので、自分の休日に千本えんま堂に、拝みに行きました。
p7800.jpg
しかし年2回のお休みでは、閻魔さんもさぞやお疲れではないでしょうか?p7801.jpg
(えんま堂狂言より)
p7802.jpg
昨今のご時世に合わせて、週休2日にされてはどうかしらん?

2010年01月15日

小豆粥

小正月と呼ぶこの日は、小豆粥を食べる日です。
一年間の邪気を払い、万病を除くと平安時代から言い伝えられる小正月の習わしです。
p7791.jpg

2010年01月14日

毘沙門天堂

両足院北側には、毘沙門天堂があります。こちらの毘沙門天は、鞍馬寺毘沙門天の胎内仏だったそうです。
戦国時代 比叡山が織田信長によって焼き討ちにあった際、鞍馬の僧が尊像の安全を危惧し、比喜多養清のところへ、尊像を疎開させたものだそうです。
p7806.jpgp7805.jpg
香炉にも寅がいます。p7804.jpg

2010年01月13日

両足院

建仁寺の塔頭 両足院の新春特別拝観も、17日までとなりましたので、取り急ぎ観てきました。p7808.jpg
石段を登るときれいに整えられた石畳と白砂が目に止まります。p7807.jpg
長谷川等伯の「竹林七賢人図」「水辺童子図」、伊藤若冲の「雪中雄鶏図」、そして嘷虎図(李義養筆 1811年)などを観ることができました。若冲の「雪中雄鶏図」は、クリアファイルになっていたので、思わず買ってしまいました。p7803.jpg
嘷虎図は、北区紫竹上岸町にある高麗美術館で開催中の「朝鮮 虎展」において、1/19(火)~2/14(日)まで、もう一度観ることができます。

先日観た、報恩寺 鳴虎之図(四明陶佾筆)は 1/13(水)~2/14(日)の間、

正伝寺蔵 虎図(伝李公麟筆) 1/9(土)~1/17(日) 2/2(火)~2/14(日)
鹿苑寺蔵 竹虎図(伊藤若冲画) 全期間
展示されるようなので、合わせてもう1度、虎尽くしを楽しめそうです。

2010年01月12日

ゑびすさんの残り福

11日、成人式を終えて、恵比寿さんに出掛けました。p7811.jpg
残り福でも、まだまだ、ゑびすさんは大賑わいです。p7810.jpg
右端に並んでしまったため、お参りの後、左へ抜けるのに、一苦労してしまいました。やっぱり、裏手に回って、板戸をドンドンしないといけませんからね(^^)p7809.jpg

2010年01月11日

儚きものの願い

定休日

美術館コレクションの余韻がタイトルに・・・。
p7812.jpg
夏に美しい花を咲かせた芙蓉の今の姿です。
未来に夢を託して、静かに冬を耐えています。

2010年01月10日

京都市美術館コレクション展~儚きもの~

1月3日 細見美術館を出て、京都市美術館へ、梯子しました。
美術館所蔵のコレクションの中から、今回は「儚さ」をテーマにした作品を取り上げての展示でした。p7813.jpg
日本人の美意識の中で、とりわけ好まれる主題で、多くの作品が造られています。
咲いたかと思うとすぐに散ってしまう花々、命短き昆虫達、うつろいゆく天空の現象、空想や夢の情景、光と影が生み出す風景、形の定まらぬ水の流れなど、そのイメージはさまざまです。

滅びを予感させるそのせつなさが、創造力を沸き立たせ、狂おしいほどに、愛しいという感情を起させてしまう感じが、好きですね~。

2010年01月09日

花 イラスト シリーズ ~1月 椿 六種 ~

p7815.jpg
画像の拡大

2010年01月08日

細見美術館 ~描かれた能~

現在、岡崎の細見美術館では、『特別展 国立能楽堂コレクション  描かれた能 ─ 絵で楽しむ、文様が語る ─』が開催中です。
月曜定休ですから、行ける時に行っとかなくてはと、3日の初詣の後、こちらにも足を延ばしました。09_05-crs.gif
能装束や、タイトルどうり、能を描いた作品の展示でした。
凝った創りの装束が展示されていて、思わず着てみたくなりました。かなり重そうだけど・・・。
細かい描画の豪華な能を描いた作品集は、どんな人がこれを眺めて楽しんだのやらと、想像たくましくなってしまいました。
通や隣のレストランが一杯の人の割りには、館内は がらんとしていて、じっくり観ることができました。

2010年01月07日

七草粥


p7822.jpg

なずなp7821.jpg

御形p7820.jpg

はこべらp7819.jpg

佛の座p7818.jpg

すずなp7817.jpg

すずしろp7816.jpg

七草粥p7823.jpg
今年は食べる前に一応、写真が撮れました。

2010年01月06日

武信稲荷神社と龍馬

今年の初詣は、中京区三条大宮西二筋目下るの武信稲荷神社にしました。p7831.jpgp7830.jpg
平安時代の初期、清和天皇貞観元年(859年)2月、西三条大臣といわれた右大臣左近衛大将藤原良相(ふじわらのよしすけ)公によって創祀された御社です。
後に、藤原武信という方がこのお社を厚く信仰されたことにより、武信稲荷と称されています。

境内の社に宮姫社(弁財天)があり、これは 御神木の榎に宿る弁財天です。
樹齢850年で、京都市の天然記念物に指定されています。p7829.jpg
平重盛が安芸の宮島厳島神社から苗木を移し植えたと伝えられ、旧京都最大最古の霊樹です。
榎は『えんの木』とよばれ縁結びの神としても知られています。

神社の南には江戸時代、幕府直轄の六角獄舎という牢獄があり幕末、勤王の志士が多数収容されていました。その中に 坂本龍馬の妻おりょうの父である楢崎将作(ならさきしょうさく)が勤王家の医師であったため捕らえられていた。
おりょうは父の身を案じ龍馬と共に何度か訪れましたが、当時女性が牢獄へ面会できることもなく龍馬自身も狙われる身であり面会はかなわない。その為、神社の大木の上から様子を探ったと言われています。

命を狙われていた龍馬は身を隠していて、おりょうとは離れ離れになっていたので、自分がここへ来た証にこの木に龍の字を彫り、それを見たおりょうが龍馬が京にいることを知ったそうです。p7828.jpg
今はその跡はありませんが、写真真ん中あたりだったそうです。p7826.jpgp7827.jpg
この葉っぱの縁結びのお守りが販売されています。p7832.jpgp7833.jpg
龍馬グッズも三条商店街の方によって販売されていました。龍馬の扮装の劇団員の人達が、寒空の中、待機されていて、今年の人気スポットになりそうです。


2010年01月05日

報恩寺 鳴虎

上京区小川通寺之内下ル射場町にある報恩寺 (ほうおんじ)では、寅年の正月三が日だけ、寺宝の大軸物「鳴虎図」が公開されました。p7837.jpgp7836.jpg
後柏原天皇より下賜されたその軸は、中国の仁智殿四明陶佾(とういつ)が宣により描いたもので、虎が谷川の水を飲んでいる絵柄です。これを、豊臣秀吉がゆっくり鑑賞したいと聚楽第に持ち帰ったところ、夜になって虎が吠えて眠れず、《これは鳴き虎じゃ、すぐに寺に返せ》と翌朝すぐに寺に返したという事です。p7835.jpgp7834.jpg
虎の毛が一本一本立体的に描かれていて、右手の方から観ると、頭が大きく、お尻が小さく観え、左手から観ると、お尻が大きくなって観えます。
顔は結構かわいい感じです。京都新聞などにも出ていたようで、大勢の人が鑑賞にいらしてました。

2010年01月04日

床脇飾り

p7839.jpg

2010年01月03日

お正月用酒揃え

今年は、龍馬ということで、お酒も龍馬がらみを中心のセレクトです。
p7838.jpg

2010年01月02日

床の間

掛け軸を「高砂」に変えました。p7841.jpgp7840.jpg
以前、日本舞踊を習っていて、「高砂」はお気に入りの舞だったのですが、きれいさっぱり忘れてしまいました。

2010年01月01日

元旦

明けまして おめでとうございます
本年も どうぞよろしくお願い申し上げますp7844.jpg
店は5日から営業させていただきます。