Search


2017年03月09日

京の冬の旅 2017

第51回京の冬の旅 今年は、妙心寺の3ケ所を、一度に拝観してきました。一か所目は、大庫裏と経蔵
こちらは、大庫裏 数百人分の食事を調理・配膳する台所です。12-050.jpg
貸出されているソックスを自身のソックスの上に重ね履きすると、足元からの冷気が防げて、うれしい心配りです。数百人の僧の食事風景や調理風景など、ちょっと見てみたいものですね~。まあ、禅寺での大勢の食事は経験した事があるのですが、女子高の研修宿泊体験でしたから、ちょっと空気感違うでしょうね。
こちらは、経蔵12-049.jpg12-048.jpg
八角形の大きな回転式の経巻棚が収められた建物です。一回転させると全巻読んだことになるというパターンです。梅雨の明けた7月の下旬に、800個の箱から出した経典を翻転して風を入れられるそうで、見てみたいですね~。

2か所めは、養徳院12-047.jpg12-045.jpg
秀吉の重心であった石河光重が父の菩提を弔うために功沢宗勲を開祖として創建した塔頭です。12-046.jpg
掛軸「酒茶論」酒と茶の徳に関しての議論を記した掛軸だとか。

3か所めは、大雄院12-044.jpg12-043.jpg
こちらは、蒔絵師の柴田是真が描いた襖絵72面が公開されていて、なかなか興味深いです。
猿の絵が可愛かったですね。12-042.jpg
墨線のみで描いた白描画「楊柳観音図」と彩色を施された「十一面観音図」が対照的な展示でした。12-041.jpg

ハート型のような池ですね。12-040.jpg
三ケ所回って、スタンプラリーちょっと一服は、定番 俵屋さんで、雲龍とお抹茶を頂きました。

2016年04月24日

第50回 京の冬の旅 妙心寺 天球院・霊雲院

桜の便りを急いだ為に、冬の旅の記録がはなはだ遅くなりました。遅ればせながら、ここに書き止めておきます。12-481.jpg
妙心寺 天球院12-480.jpg
料理研究家の大原千鶴さんがポスターに出演されています。12-479.jpg12-478.jpg
中は撮影禁止でしたが、京狩野派による、艶やかな障壁画の数々が見事でした。今回は、重文と一部高精細複製品を織り交ぜての展示で、今後は複製のみの展示となるようで、貴重な機会だったようです。
12-477.jpg
12-476.jpg
廊下の天井は伏見城の戦いの時の血天井となっていました。こちらにもあったのですね~。12-475.jpg
12-474.jpg
霊雲院12-473.jpg
こちらは、初期の書院造の貴重な遺構という事です。後奈良天皇がしばしば行幸されたことから「御幸の間」と呼ばれる部屋があり、枯山水庭園とともに、こじんまりと静かな中に品格のあるたたずまいが素敵でした。12-472.jpg


2016年04月20日

2016 京の桜 十輪寺

4月4日 善峯寺からの帰り道、十輪寺に立ち寄りました。12-365.jpg
在原業平がこの寺に隠棲したことから、「業平寺(なりひらでら)」とも云われていて、以前より訪れたいと思っていました。12-364.jpg
善峯寺の桂昌院御手植えの桜より開花時期が少し早いので、散り盛んな業平桜です。12-363.jpg
12-362.jpg
一面の花びらで、渡るのを躊躇ってしまう高廊下です。12-361.jpg
高廊下から見下ろす庭12-360.jpg
業平御殿側より12-359.jpg
右手の茶室には入れませんでしたが、また違った見え方がするのでしょうね。三方向から違った世界観で眺める庭という事で、三方普感の庭と称されています。12-358.jpg
天蓋の桜とも云われるように空を覆いつくしているようです。12-357.jpg
にわかに風が起こり、高廊下の屋根に積もった花びらが舞い踊り、息を呑む美しさでした。12-356.jpg
ここで、お茶を頂きたいと思ったのですが、残念ながら、そういう準備はされていないようです。12-355.jpg
12-354.jpg
12-353.jpg
業平が塩焼きの風流を楽しんだといわれる「塩がまの跡」12-352.jpg12-351.jpg12-349.jpg
12-348.jpg
12-350.jpg
世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし12-347.jpg


2016年04月17日

2016 京の桜 善峯寺

4月4日 天候のすぐれない中、善峯寺に足を延ばしてみました。12-384.jpg
12-383.jpg
高山寺の犬の置物を思い出しました。12-382.jpg
12-381.jpg
桂昌院お手植のしだれ桜が、見頃を迎えていました。いいタイミングでした。12-380.jpg12-379.jpg
12-378.jpg
奥へ行くほど、高くなっていく境内、備え付けの杖を利用している人も多いようです。12-377.jpg
こちらの見頃は、もう少し後になるようですね。12-376.jpg12-375.jpg12-374.jpg
12-373.jpg
雨にしとど濡れた木蓮12-372.jpg
12-371.jpg
12-370.jpg
12-369.jpg
長く見てみたいと思っていた御手植えの桜、名残惜しいですが…。12-368.jpg12-367.jpg
12-366.jpg

2016年03月16日

第50回 京の冬の旅 真如寺

等持院の横にある真如寺は、冬の旅では、今回が初公開だそうです。12-490.jpg
相国寺の塔頭寺院です。無学祖元の遺爪髪を祀るための塔所として、無学の弟子で京都尼五山筆頭の景愛寺住職であった、無外如大尼がこの地に「正脈庵」(しょうみゃくあん)を築いたのが始まりという話です。12-489.jpg
「とにかくにたくみし桶の 底ぬけて 水たまらねば 月もやどらず」無外如大尼が、まだ千代野という名であった頃、悟りを開いたときの歌といわれています。12-488.jpg

西陣の本隆寺はかつて、景愛寺のあった場所で、その本堂前にある井戸が、千代野の汲んだ井戸であるとか。もっとも、鎌倉にも同様の井戸があり、異なった説もあるので、定かではありません。12-487.jpg
無外如大尼の没後、崩壊に瀕していたところを、、無学祖元の法孫である夢窓疎石が暦応5年(1342年)に足利尊氏の執権であった高師直の外護を受けて、整備し、寺号を真如寺としました。
12-486.jpg
応仁の乱の後、後水尾上皇によって再建された法堂には、中二階風の構造になった須弥壇があり、宝冠釈迦如来像が安置されています。12-485.jpg
客殿には、門跡が来寺の際に座られる三畳の上段の間があり、原在中筆の襖絵を見ることが出来ました。12-484.jpg
奥のお部屋で、お茶を頂きました。12-483.jpg
こちらのオリジナルデザインの薯蕷饅頭が美味しかったです。杜若や紅葉の時期にまた訪れたいものです。12-482.jpg

2016年01月27日

嵐山舟遊びと初天神

1月25日 月曜日 天気予報では、日曜に引き続き、全国的な荒天で、雪の降る確率が高いという触れ込みだったので、この好機を逃してはならじと、嵐山の遊覧船のランチ予約を入れていました。12-525.jpg
着物も雪月花をテーマに準備してみました。12-523.jpg

(写真は嵐山通船HPよりお借りしました。)
予定では、写真のような景色の中で湯豆腐を食するはずでした。朝は一応、上京区でも、うっすら雪景色だったのですけど、その後青空が広がってきて、嵐山に到着する頃には、残念な状態に…。12-522.jpg
最悪な予報の中、ランチ予約した物好きは、私だけだったようで、川ごと貸切りみたいな、いい感じではありました。12-524.jpg
日陰の岩肌には、わずかに雪が残っていました。ストーブと鍋、差し込む日差しのおかげで、寒くもなく、むしろぽかぽかなくらい12-521.jpg
保津川下りの船が一艘、下って行ったのと、遊覧のみの船2艘とすれ違っただけで、静かなランチタイム12-520.jpg
湯豆腐は写真を撮る前に、食べてしまったので、途中写真になってしまいました。
鵜飼の際は上ってこない「星のや」の前まで、やってきました。12-519.jpg
こちらは、雪も残っていて、なんとも風情があります。12-518.jpg
持参した日本酒も空けてしまって、雪見酒湯豆腐ランチは、残雪わずかではありましたが、貸切り感がなんとも良かったです。ランチを終えて、今度は、賑わう天神さんへ、12-517.jpg
境内の梅はちらほら咲き12-516.jpg
12-515.jpg
2000円で、ナイロン袋を買い、詰め放題!着物1枚帯8本の収穫でした。12-514.jpg

2016年01月13日

謡初式と初詣

1月3日 恒例の金剛流謡初式を観に出掛けました。12-536.jpg
舞囃子は「岩船」龍謹さんです。さわやかな新春の空気を満喫して、お神酒を頂きました。12-535.jpg

さて、今年の初詣は、申年という事で、山ノ内にある猿田彦神社に出向いてみました。12-534.jpg
「山ノ内庚申」と言われ、京洛三庚申の一つとして数えられる神社です。ご祭神は猿田彦大神。12-533.jpg
ニニギノミコトの天孫降臨の際に道案内を務めた神様で、「道ひらきの神」と崇められ、諸芸上達、交通安全、開運除災、除病招福にご利益があるとされます。
12-532.jpg
12-531.jpg
12-530.jpg
境内末社は、大国主命を祭神とする大国主社、火伏の神・秋葉明神を祭神とする秋葉社、稲荷大神を祭神とする稲荷社です。
12-529.jpg
12-528.jpg
クスノキの大木12-527.jpg
12-526.jpg
多分、日頃は静かな境内かと思いますが、さすがにこの日は参詣者が結構訪れているようでした。

2015年07月03日

大覚寺 半夏生 2015 & 名古曾滝

夏越の祓の記事で、半夏生めぐりを中断しましたが、等持院から、大覚寺へと足を運びました。12-819.jpg
大沢の池に流れ込む小川の脇の一角に、ありました。12-818.jpg
量的には少ないですね。京の半夏生めぐり 残すは、勧修寺ですが、来年に回す事にします。せっかくここまで来たので、大沢の池を一周してみました。12-817.jpg
蓮が咲き始めています。
名古曾滝跡12-816.jpg
滝の音は 絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れて 尚聞こえけれ
                      藤原公任
平安中期には既に水は枯れていて、名前だけが残っていたという滝跡です。12-815.jpg12-814.jpg12-813.jpg
12-812.jpg
12-811.jpg


2015年06月26日

等持院 半夏生 2015

両足院で満喫した半夏生ですが、等持院・大覚寺・勧修寺などでも見る事が出来るとの事で、等持院に足を延ばしてみました。12-830.jpg
茶席前の芙蓉池12-829.jpg
奥の心字池 半夏生はこちらの池の周りに群生しています。12-828.jpg
12-827.jpg12-826.jpg
両足院よりも、白い部分が少ないようです。葉も少し小ぶりかも。12-825.jpg
これから見頃になるといったところでしょうか。12-824.jpg部分的には見頃を迎えていますね。12-823.jpg
12-822.jpg


2015年06月06日

仁和寺と平経正

仁和寺の御殿 拝観に出掛けました。
東門12-891.jpg
今年の京都薪能の2日目の演目の中に、「経正」があるので、その舞台となった地をあらかじめ訪れて、気分を高めるためです。12-890.jpg
勅使門12-889.jpg
本坊表門12-888.jpg
本坊に入る前に、立派な二王門を見学12-887.jpg
古びたたたずまいが何とも美しい門です。応仁の乱で、焼けてしまった後、徳川家光の寄進により再興されています。12-886.jpg
阿吽の二王像12-885.jpg12-884.jpg
後面には唐獅子像12-883.jpg12-882.jpg
光孝天皇の勅願になる寺ですが、完成を待たずに崩御された遺志を継いで、宇多天皇が完成、仁和4年(888)に、光孝天皇の一周忌を兼ねた落慶供養が催されたということです。
御殿入口12-881.jpg
宇多天皇が譲位の後、出家してここを住房とされた事に始まり、代々皇族が継承することとなり、御室(御所)と尊称されるようになり、門跡寺院として発展してゆきました。12-880.jpg12-879.jpg
鳥羽天皇の第五皇子 覚性入道親王(母は待賢門院藤原璋子)は、親王宣下の後に、保延元年(1135)わずか6歳の時に仁和寺に入寺し、後に第5世門跡となっています。白河院崩御のすぐ後に生まれたこの皇子は、後ろ盾を亡くした待賢門院藤原璋子が、その力を失っていく中、覚法法親王の後継としての入寺でした。
12-878.jpg
保元の乱の際、御所を脱出して逃げていた崇徳院が、同母弟であるこの覚性入道親王を頼って仁和寺に入り、取り成しを依頼するも、その申し出を断ったとされています。兄たちの争いに巻き込まれ、苦しい選択であったのかもしれません。12-877.jpg
その覚性入道親王が、幼少時を仁和寺で過ごした平経正を寵愛し、楽才を認め、琵琶の銘器「青山 」を下賜します。12-876.jpg12-875.jpg
寿永2年(1183)平経正が都落ちの際に仁和寺に立ち寄り、先代覚性法親王より拝領の琵琶「青山」を返上した折、守覚法親王(しゅかくほっしんのう)と別れを惜しみ歌を交わしています。
あかずして 別るる君が 名残をば 
              後の形見に つつみぞおく  守覚法親王

呉竹の 筧(かけひ)の水は かはれども 
              なほすみあかぬ 宮の内かな  平経正
12-874.jpg
幼き頃より親しい間柄の行慶は別れを惜しみ、桂川の岸辺まで送ってゆき、別れ際、和歌を贈ります。
あはれなり老木(おいき)若木も山桜 おくれ先だち花はのこらじ 

経正の返歌
旅衣夜な夜な袖をかた敷きて 思へばわれは遠くにゆきなん
12-873.jpg
翌年 経正は、一ノ谷の戦いにおいて、河越重房の手勢に討ち取られます。12-872.jpg
能「経正」
討ち死した経正を憐れに思われた宮が、琵琶を仏前に供え、管弦講を催して、その霊を弔うよう、行慶に命じます。法事を執り行っていると、ありがたく思った経正の幽霊が現れ、青山を奏で、舞を舞って楽しみますが、やがて、修羅の苦しみに襲われます。その姿を見せまいとして、灯火を嵐と共に吹き消して、経正の霊は暗闇の中に消え失せます。12-871.jpg
琵琶を愛する平家の公達の無邪気さや悲しさが、感じられる曲です。12-870.jpg
グッズ売り場で、ストラップを買い求めました。12-869.jpg

2015年02月14日

第49回 京の冬の旅 龍安寺 仏殿・西の庭

第49回 京の冬の旅 4か所目を訪れる前に、「スタンプラリー 3か所まわってちょっと一服」 を使って、お抹茶と雲龍を頂きました。11-360.jpg11-359.jpg
でもって、方向が逆ですが、龍安寺に向かいました。入口で、普通の拝観料500円!
鏡容池では、シンクロのレッスン中?!11-358.jpg

定番 石庭11-357.jpg
ぐるっと回って、やっと京の冬の旅 受付発見! こちらでプラス300円!あらまぁ、他より200円高いのね~。普通の拝観不要ですけど・・・。
仏殿は、昭和56年に再建された総檜造の建物で、天井にまだ新しげな龍の絵が描かれています。
奥の昭堂には慶派の作と伝わる本尊・釈迦如来像など。
その西側スリッパを外履き もしくはマイ靴に履き替えて、西の庭に降ります。
11-356.jpg
室町期の庭を復元したという回遊式庭園ですが、回遊はさせてもらえません。11-353.jpg
回遊出来なきゃ面白くないじゃない。花のある時期だったらもっと違った印象だったでしょうね~。

龍安寺を創建した室町幕府管領細川勝元の木像を祀る細川廟11-355.jpg
こちらは、説明出来るボランティアガイドが少ないせいか、終始説明なし。11-354.jpg
仏殿に戻ると、団体さんに対応して、説明が始まっていたので、また一巡・・・。
3月10~18日は、茶室「蔵六庵(ぞうろくあん)」と115年ぶりに龍安寺に帰還した襖絵「群仙図(ぐんせんず)」(四面)の特別公開に変更されるようです。

2014年05月13日

梅宮大社 いずれ菖蒲か杜若

5月12日 梅宮大社に杜若を見に出掛けました。受付横では、爆睡中の猫10-271.jpg
お庭へ10-268.jpg10-269.jpg
10-267.jpg
10-266.jpg
これは三番花でしょうか?10-265.jpg
後ろに回り込んでみました。10-270.jpg
念入りに毛づくろい中です。10-245.jpg10-244.jpg
10-264.jpg10-263.jpg10-262.jpg
10-261.jpg
10-260.jpg
人気が少なくて、ゆったりできます。以前は、花菖蒲の時期に訪れていましたが、菖蒲や杜若もそこそこ咲いているのですね。10-259.jpg10-258.jpg10-257.jpg
もみじのプロペラも綺麗10-256.jpg
なんじゃもんじゃの木10-255.jpg
一初10-254.jpg10-253.jpg
緑が鮮やか10-252.jpg
10-251.jpg
変わったデザイン アイリスでしょうか?10-250.jpg10-249.jpg
境内に戻ると、1匹の猫がパトロール中でした。10-248.jpg10-247.jpg
ご苦労様です。10-246.jpg

2014年04月30日

乙訓寺 牡丹

4月28日 牡丹が見頃という事で、久しぶりに乙訓寺に出掛けました。10-324.jpg10-323.jpg

10-322.jpg
花が重いので、竹の棒を支えにしてあるのですが、なにやら竹から花が生えているようにも見え、絵になりにくい感があります。
10-321.jpg10-320.jpg
10-319.jpg
花びらがギザギザな品種10-318.jpg
10-317.jpg
10-316.jpg10-315.jpg10-314.jpg
10-313.jpg10-312.jpg
整列!10-311.jpg
黄色は少し遅く咲くようです。10-310.jpg
天然記念物の黐木(モチノキ)10-309.jpg
10-308.jpg
10-307.jpg10-306.jpg
境内一杯に植えられた牡丹は、今では約2000株になるそうです。確かに以前訪れた時より増えたようです。手入れも大変でしょうね。10-305.jpg
牡丹に蝶の写真を撮りたかったのですが、躑躅の方がお好きなようです。10-304.jpg10-303.jpg
10-302.jpg
雨になる前に来れて良かったです。ちょっと遠いのが、難ですが。

2014年04月27日

2014 京の桜 仁和寺

4月14日 京北からの帰り道 仁和寺に立ち寄りました。表の立て看板に桜満開とありましたが、受付まで来ると、散り初めの看板!?ここまで歩くうちに早や散り始めたという訳でもないでしょうが・・・。10-335.jpg
ここ特有の八重のぽたぽたした大振りの花びらです。10-334.jpg10-333.jpg
びっしりと敷き詰められた花びらもまたいいですね。10-332.jpg10-331.jpg
定番スポットはカメラでいっぱい。10-330.jpg
こちらは一重。10-329.jpg
以下 京都新聞よりの抜粋です。

『遅咲きの八重桜で知られる「御室桜」の9割以上の木々が実際は一重であることが、住友林業筑波研究所(茨城県)の調査で分かった。江戸時代からの古木が長い年月をかけて、桜の本来の姿である一重に「先祖返り」したらしい。

 御室桜は「御室有明」という品種で、樹齢は360年以上。境内の西側一帯は国の名勝に指定されている。江戸時代に貝原益軒が「京城勝覧」で「境内の奥に八重桜多し、洛中洛外にて第一とす」と記すなど、古くから八重桜の名所として知られていた。昭和初期の香山益彦著の研究書「御室の桜」にも、八重が多数を占めるとの記述がある。

 しかし、住友林業筑波研究所が7年前から寺などと共同で行っている御室桜の保存に向けた研究で調査したところ、212本のうち、八重はわずか18本しか残っておらず、大半は一重だったことが判明した。』

という訳で、一重が大半になってしまっていました。10-328.jpg10-327.jpg
新緑の季節到来ですね。10-326.jpg

2014年01月31日

第48回京の冬の旅 妙心寺 大法院

第48回京の冬の旅 3つ目は妙心寺塔頭の大法院です。9-216.jpg

武将・真田幸村の兄である真田信之(のぶゆき)の菩提寺だそうです。
9-215.jpg
襖8面にわたって百羽の鳥を墨一色で描いた土方稲嶺(ひじかたとうれい)筆「叭叭鳥(ははちょう)図」が印象的です。
9-214.jpg
庭園は、草庵風茶室「有隣軒」に通じる露地庭園で、なかなか風情があります。9-213.jpg
庭に降りて、ちょっと佇んでみたい感じです。
佐久間象山の墓9-212.jpg
昨年の大河ドラマで、記憶に新しい象山先生は、こちらに眠ってらしたんですね~。
象山先生の肖像画も、雰囲気があって良かったです。9-211.jpg

2014年01月25日

第48回京の冬の旅 妙心寺 聖澤院

京の冬の旅 2つめは同じ妙心寺の塔頭 聖澤院( しょうたくいん)にお邪魔しました。9-222.jpg
9-221.jpg
大永3年(1523)東陽英朝(とうようえいちょう)を勧請開祖に迎えて創建されたそうです。

9-220.jpg
こちらのお庭はまだ新しいものです。
9-219.jpg
狩野派の片山尚景(かたやまなおかげ)の「獅子図」「十牛図」、狩野典信の「麒麟図」「竹林七賢図」、文人画家 富岡鉄斎の「巌栖谷飲図」(がんせいこくいんず)などを観る事が出来ました。9-218.jpg
「竹林七賢図」の次の間が、富岡鉄斎の「巌栖谷飲図」となっていて、急にニュアンスが変わる感じです。
中に座っていたり、襖を開けて移動したりすると、もっと印象が違ってくるのでしょうね。9-217.jpg

2014年01月22日

第48回京の冬の旅 妙心寺 龍泉菴

今年も、京の冬の旅 非公開文化財特別公開が始まっています。
妙心寺 龍泉菴にお邪魔しました。9-227.jpg
景川宗隆(けいせんそうりゅう)が室町幕府の管領 細川政元を開基として創建しています。9-226.jpg
昨日の雪がわずかに残るお庭。長谷川等伯の重文”枯木猿猴図(こぼくえんこうず)(複製)がお出迎え。
平成11年の開祖五百年遠諱の際、堂本印象に師事した日本画家・由里本出(ゆりもといずる)氏が描いた100面の障壁画が方丈を飾っていました。
9-225.jpg

「昇龍図」、越前海岸を描いた「種々東漸図(しゅじゅとうぜんず)」と進んで行きます。滝や岩肌、波しぶきなどが、描かれている襖絵が続き、建仁寺の菩提樹と金色の日輪など圧巻ですが、個人的には沙羅の木の襖絵に最も惹かれるものがありました。9-224.jpg
狩野探幽の「観音・龍虎図」もゆったりと眺めれれ、振り向くと沙羅の木の描かれた「樹下寂静之間」が見えて、広々とした空間に癒されました。9-223.jpg

2013年11月23日

西明寺 紅葉 2013

神護寺から西明寺へと徒歩で移動。9-343.jpg
裏側から入りました。9-342.jpg
神護寺の別院としての創建ですが、後に後宇多法皇よりの命名で独立した寺院となっています。9-341.jpg
お茶を頂きました。お運びの方にお茶の心得がない様子なのがちょっと残念でした。9-340.jpg9-339.jpg9-338.jpg9-337.jpg9-336.jpg
境内は今頃がちょうど見頃かもしれません。9-335.jpg

2013年11月20日

神護寺 紅葉 2013

11月18日 高雄の神護寺の紅葉狩に出掛けました。街中より、ひんやりしています。

高雄橋 これより、参道の石段が続きます。9-363.jpg
階段途中の茶店も色付いて、いい感じです。9-362.jpg9-344.jpg
やっと、楼門到着。足腰の衰えなど感じてしまいました(^^)
9-361.jpg
宝蔵9-360.jpg
和気公霊廟9-359.jpg
9-358.jpg
9-357.jpg
金堂9-352.jpg
9-356.jpg
9-351.jpg
定番写真になっている、金堂前から見る五大堂9-355.jpg9-354.jpg
9-353.jpg9-350.jpg9-349.jpg
地蔵院前では、かわらけ投げが出来ます。風にうまく乗っかると遠くに飛ばせるようですが、小ぶりなかわらけは戻ってきたりして、結構難しそう・・・。9-348.jpg9-347.jpg9-346.jpg
街中より一足早い紅葉が楽しめました。9-345.jpg


2013年09月10日

重陽の節句 法輪寺

9月9日 連日の雨が上がり、さわやかなお天気となりました。
8-021.jpg
「重陽の節会」 嵐山の法輪寺に参拝しました。8-020.jpg
8-001.jpg
8-015.jpg
展望台からは、市内を眺望出来ます。
真近に見える鳥居8-018.jpg
8-017.jpg
望遠レンズで確認した大文字8-016.jpg
8-019.jpg
こちらの本堂内で、お節句の法要と舞囃子などが行われます。
雅楽から始まり、読経とのコラボ!8-013.jpg8-012.jpg
菊花が配られ、献花8-011.jpg
舞囃子の前に、おざぶや、さい銭箱などが、かたずけられ、お舞台スペースを空けるために、正面に座っていた人々に、退却指示!廊下に出る羽目になってしまいました。
舞囃子は金剛流「枕慈童」8-010.jpg
シテの宇高 通成(うだか みちしげ)氏は、龍馬に道を説いたり、琵琶湖疏水工事記録画を作成したりした河田小龍の曾孫でらっしゃいます。子息の竜成( たつしげ)・徳成(のりしげ)氏も地謡で参加されています。8-009.jpg8-008.jpg8-007.jpg8-006.jpg8-005.jpg
舞の後は、菊酒が振る舞われます。お酒はたっぷりありますからというご案内にもかかわらず、押すな押すなの騒ぎです。8-004.jpg
菊の被綿(きせわた)8-003.jpg
前の晩に菊に綿を被せておき、これに降りた露で身体を撫で拭くと、長寿になると云われています。

菊慈童8-002.jpg
とても美しいお顔立ちです。


菊酒を頂き、不老長寿になったようなさわやかな気分になりました。
8-023.jpg

この日のコーディネートは、紺の絽の着物に、菊に桔梗・撫子などの絽の帯に菊の帯留でした。8-022.jpg

2013年08月27日

嵐山 宮廷鵜飼

夏の風物詩 嵐山の鵜飼を見に行きました。浴衣着用の方、200円割引という事でしたので、着物にしてみました。8-067.jpg
船と船頭さんの絵柄の洗える絽小紋に、すくいの波柄の帯、釣り具屋さんで求めた鮎のストラップに金具を付けて帯留にしてみました。8-066.jpg
早めに出掛けて川縁を散歩8-065.jpg
親子らしい鷺たちが、じゃれあっていました。

嵐電の駅が華やかになっているので、ちょっと覗いてみました。8-064.jpg
「友禅」を用いたポール約600本を林に見立てた「光の林」が出迎えてくれます。8-062.jpg8-063.jpg
さていよいよ乗り場へ8-061.jpg
8時前ですので、実際はこんな暗さです。8-060.jpg
鵜のデザインの提灯が可愛い!8-059.jpg

7時出航の船が帰ってきました。8-058.jpg
せっかくなので、普通の乗合船じゃなくて、宮廷鵜飼船にしてみました。雅~(^^)いざ、出航!8-057.jpg
月曜日とあって、宮廷船は北乗り場から5人、南側へ迎えに行って3人乗船で、合計8人だけでゆったりしていました。

南側で鵜も待機中。8-056.jpg
舳先に一列に並んでます。8-055.jpg
まずは下流で鑑賞8-054.jpg
8-053.jpg
鵜の首に掛けられた首結(くびゆい)は、その締め付け具合が加減されていて、小さな魚はそのまま喉を通って、消化されるそうです。8-052.jpg
上流へ移動して、岩場に固定、宮廷船を先頭に5艘の船が数珠つなぎ8-051.jpg

川上から、鵜飼船が横を下ってゆきます。8-050.jpg8-049.jpg
8-048.jpg8-046.jpg
そないに早よ行かんといて~。暗いし、動くし、カメラの腕が追い付かへんやん。8-047.jpg

鵜飼船は2艘。次のがやってきました。8-045.jpg8-044.jpg
8-043.jpg
右側の鵜は、狙い定めて飛び込みましたが、左側の鵜は、さぼってますね~。どうせ、取り上げられるし~みたいな。8-042.jpg
採った魚はあとで、鵜たちの餌になるそうです。捕獲するのは鮎とは限らず、見つけた魚をなんでも飲み込むようです。鵜の餌は1日1食、トビウオなどを与えるとの事、鵜飼の仕事前はお腹を空かせて、スタンバイするそうです。鵜は大食家で、餌を与えたらきりがないのだそうです。そら、あないに鵜呑みにしてたら、満腹中枢も働かへんわ。よう噛んで食べんとあかんえ~。
8-041.jpg
あっという間の1時間でした。8-040.jpg
楽しゅうございました。
別の季節に、また船上ランチなどしてみようかしらん。


 

2013年07月24日

小倉百人一首殿堂 時雨殿

一度訪れたいと思いながら、月曜定休であったり、行こうとした時にリニューアル中だったりして、機会を逃していた嵯峨の時雨殿をやっと訪れました。8-201.jpg
伊藤寿子さんの「和紙と綿棒が織りなす百人一首 8センチの世界」という人形展が開催されていたので、この機会にと思い立ちました。8-187.jpg
藤原定家が百人一首を編纂した小倉山の麓に建つこの施設は、平安時代に思いをはせるには最適な場所です。館内は、一部の古い資料を除き、撮影OKという事です。8-200.jpg
百首の和歌と共に、歌仙人形が展示されていました。
崇徳院8-199.jpg
当時の歌会のシーンを再現8-197.jpg
伊藤寿子さんの作品群8-196.jpg
和歌の情景が再現されていました。8-195.jpg8-194.jpg
8-193.jpg
細かい作業ですね。8-192.jpg

二階は、かるた大会などのできる120畳の大広間8-191.jpg
平安装束の無料体験コーナーがあります。8-198.jpg
ちょっと羽織ってみました(^^)8-190.jpg8-189.jpg
小学生や、高校生の頃に、夏休みの宿題で覚えたのを始めとして、なじみのある百人一首ですが、このところ、「ちはやふる」「うた恋い。」などの百人一首にまつわるマンガを読んで、ますますハマっているこの頃です。8-188.jpg
川縁に出ると、雅な船が泊まっていました。宮廷鵜飼の船でしょうか?こんな船に揺られて、歌など詠んだりしたらいいかも~。

2013年07月10日

天龍寺 蓮

7月7日 天龍寺の蓮を、撮りました。8-255.jpg8-254.jpg8-253.jpg
何やら、真下で、ぱしゃぱしゃ音がすると思ったら、鯉たちが、何か頂戴~。といった感じで集まって来ていました。ごめんね。なにも持ってないのよね~。8-256.jpg8-252.jpg8-251.jpg
8-250.jpg
8-249.jpg
8-248.jpg
8-247.jpg
帽子持参で来ましたが、午前中でも汗が噴き出してくるのが分かります。皆さんちょっと撮ると引き上げられるようで、池を一周して粘っているのは私ぐらいでした。熱中症になりやすいタイプかも?8-246.jpg
8-245.jpg
8-244.jpg
8-243.jpg
なんとも美しい花ですね。

2013年07月02日

鹿王院 沙羅の木

6月24日 沙羅の木があるという事で、嵯峨の鹿王院を訪れました。8-281.jpg
足利義満筆の「覚雄山」の扁額です。

8-266.jpg
8-280.jpg
参道が、長くてとても素敵です。ドラマ「鴨、京都へ行く」で、鴨が園田夫妻を案内していました。8-267.jpg
8-279.jpg8-268.jpg
広い敷地にゆったりした静かなお庭です。お手入れも大変でしょうね。8-269.jpg
舎利殿 源実朝が宋から招来した仏牙舎利が安置されている多宝塔があります。

8-270.jpg
沙羅の木はというと、お庭の奥まったところにありました。8-278.jpg
とても背の高い木です。8-276.jpg8-275.jpg
蕾も多いようなので、まだまだ見頃が続きそうです。8-277.jpg
客殿へ戻る渡り廊下脇の庭にも若い沙羅の木がありました。こちらは近くなので、アップで撮れました。
8-274.jpg

8-273.jpg
8-272.jpg8-271.jpg

2013年06月26日

滝口寺

祇王寺を出て、お隣の滝口寺へ向かいました。8-293.jpg
滝口入道と横笛の悲恋物語で知られる寺ですが、祇王寺ほどひっきりなしに観光客が訪れるといった風ではないようです。8-290.jpg
新田義貞の首塚8-292.jpg
鎌倉幕府を滅ぼした武将として名高い新田義貞の首塚です。足利尊氏と対立し、北陸へ落ちるも、戦死。京都で晒し首になっていたものを、妻の勾当内侍(こうとうのないし)が盗み出して、 この場所に葬ったと伝えられています。

匂当内侍供養塔8-291.jpg
参道の脇に歌碑が立っています。8-289.jpg
8-288.jpg
横笛が指先を斬った血で、滝口へ歌を残したと伝えられる石が、苔むした姿で見えます。

宮中警護に当たる滝口(清涼殿の東北の詰所)の武士 斉藤時頼は、建礼門院に仕えていた横笛と恋に落ちますが、身分違いの恋を父に反対され、出家して、往生院(現 滝口寺)に入り、滝口入道と名乗ります。滝口の出家を知った横笛が、探しあてて尋ねてきますが、会えることなく追い帰され、やむなくその場の石に歌を書きつけます。

山深み 思ひ入りぬる 柴の戸の まことの道に 我を導け

本堂には、滝口入道と横笛の木像が並べて祀られています。庭を見渡すと、平重盛を祀った「小松堂」が見えます。8-287.jpg
平家一門の供養塔8-286.jpg
帰り道から振り返ってみる本堂8-285.jpg
祇王寺と同じく再建された寺ですが、本堂の屋根の修復も進まないようです。
8-284.jpg
祇王寺前では、竹林を新しく整備し、この春に「祇王の小径」が開苑されました。休憩所として、お土産ものなどの販売や、お抹茶なども頂けます。祇王寺のお守りを頂きました。8-282.jpg
お茶を頂いていると、団体客が祇王寺へと入ってゆくのが見えました。かち合わなくてよかった・・・。
8-283.jpg
ガイドさんが、早く出られた方は、こちらの休憩所で待機するようにと指示されていました。なるほど!

2013年06月21日

祇王寺

深い苔色が見たくなって、そうだ、祇王寺行こう。と思い立ち、出掛けました。8-316.jpg
8-315.jpg
8-314.jpg
8-313.jpg
しとっとした空気感が堪りません。あまり一か所に留まっていると蚊に刺されそうな感じもしますが・・・。8-312.jpg
8-311.jpg
8-310.jpg
8-309.jpg
8-308.jpg
8-307.jpg
8-306.jpg8-305.jpg
8-304.jpg
8-303.jpg
この庭に生えている苔のバリエーション8-302.jpg
8-301.jpg
8-300.jpg
8-299.jpg
かつての祇王寺ではなく、再建されたものですが、十分に祇王たちを思い浮かべる事はできる雰囲気です。8-298.jpg8-297.jpg
帰り口近くには、沙羅の鉢植えがありました。8-296.jpg
8-295.jpg8-294.jpg
お隣の滝口寺へと続く・・・。

2012年09月05日

2012 京の夏の旅 櫻谷文庫 木島櫻谷旧宅

今年の京の夏の旅の中から、北野白梅町から少し北西へ入ったところにある木島櫻谷(このしま おうこく)旧宅を訪れました。7-748.jpg
1877(明治10)年、京都・三条室町の商家に生まれた櫻谷は、日本画家今尾景年の画塾に入門、大正元年には京都市立美術工芸学校教諭となり この頃、この地に引っ越しています。母屋である和館と収蔵庫および展示室の洋館、それに画室が建てられました。50年もの間、閉ざされていたそうで、今回が初の一般公開のようです。7-747.jpg
7-746.jpg
母屋1階7-745.jpg
当時の暮らしぶりが再現されています。7-744.jpg
7-743.jpg7-742.jpg
昭和32年の新聞です!7-741.jpg
2階 窓の外、緑の奥に80畳の画室があります。7-740.jpg
7-739.jpg
開け放たれた窓から、この猛暑にもかかわらず、さわやかな風が入ってきます。当時は見晴らしも良かったでしょう。タイムスリップして、お昼寝なんかしたい感じです。7-738.jpg
絵描きが細部までこだわって造った建物であることが随所に感じられます。7-737.jpg
お台所7-736.jpg
左手の湯沸かし器がクラシックです。7-733.jpg
画室 手前には池があったそうで、大きな石がごろごろ積まれていました。7-735.jpg
畳敷き80畳は、圧巻ですね。現在修復中です。7-734.jpg
後ろ側 補強されていますね。7-731.jpg

洋館7-732.jpg
こちら2階には、作品が展示されていて撮影不可です。奥の部屋に描かれたわらびがとってもかわいかったです。この櫻谷の引っ越しを契機に、京都画壇の多くの人々がこのあたりに住まうようになり、「衣笠絵描き村」とも呼ばれるようになったとの事です。竹林が多かったこの地は、なにか絵描きを触発するものがあったのでしょうか。

2012年04月28日

2012 京の桜 大原野神社・正法寺

4月16日 勝持寺を出て、来た道を戻ります。仁王門の手前を、左手の抜け道に進み、大原野神社へ向かいます。千眼桜が見頃でした。6-309.jpg6-308.jpg6-307.jpg
お向かいの正法寺6-306.jpg6-305.jpg6-304.jpg
こちらは外回りだけでもずいぶん賑やかです。6-303.jpg
6-302.jpg
前回は、庭の枝垂れが終わっていたので中に入らかったのですが、今年は見頃のようだったので、拝観しました。
6-301.jpg
6-300.jpg
6-299.jpg
静かに花盛りの庭を眺める事ができました。6-298.jpg


2012年04月27日

2012 京の桜 花の寺 勝持寺

4月16日 西行さんゆかりの勝持寺へ向かうため、阪急東向町駅前からバスに乗りました。バス内は、おばさんの遠足貸切りバスかのようで、かしましくハイテンションです。こちらもおばさんではありますが・・・。

花見にと 群れつつ人の 来るのみぞ 
   
    あたら桜の とがにはありける

と、西行さんが歌った通りのシチュエーションになりそうな予感です。6-329.jpg
バスを一番先に降りて、徒歩20分ぐらいを早足で、途中の大原野神社などを後回しにして、勝持寺を目指します。6-328.jpg6-327.jpg6-326.jpg
残念ながら、お茶席はすでに終わっていて、お菓子のみ販売されていました。

西行桜6-325.jpg
以前こちらに来たときは、雨降りの葉桜でしたから、今年こそはと思っていたのですが、曇り空で葉桜になりつつあるところでした。タイミングが難しいですね。6-324.jpg6-323.jpg
そらになる心は春の霞にて

    世にあらじとも思ひ立つかな

俗世を離れようと思い立ったころ、東山に人々が集まって、霞に寄せるおもいを詠おうという会があったときの歌です。
6-322.jpg
6-321.jpg
6-320.jpg6-319.jpg
本堂6-318.jpg
奥へと進みます。6-317.jpg
6-316.jpg6-315.jpg
紅枝垂れが見事に咲き誇っていました。6-314.jpg6-313.jpg6-312.jpg
翌日、お抹茶を頂きました。6-311.jpg
こんな青空だったらよかったのにねという思いで、鴨川をどりの時にもらった菓子皿にしてみました。6-310.jpg

2012年04月11日

2012 京の桜 法金剛院

4月9日 午後 雲行きが怪しくなる中、急ぎ法金剛院へ、向かいました。6-486.jpg

6-485.jpg
社務所に飾られた黒椿6-484.jpg6-483.jpg
待賢門院桜 「紫の桜」の別名もあるヒガンザクラ系のベニシダレザクラの変種です。璋子様の名を戴くこの桜は、とても美しく気高い風情があります。6-482.jpg
6-481.jpg6-480.jpg6-479.jpg
今年は、大河ドラマの影響で、こちらを訪れる人々も多いでしょうね。6-478.jpg
6-477.jpg
6-476.jpg
6-475.jpg
6-474.jpg
真下から6-473.jpg

2012年03月09日

第46回京の冬の旅 妙心寺 玉鳳院

妙心寺は、花園上皇が離宮を造営されて、萩原殿と称されていたものを、禅寺に改められたものです。
塔頭である玉鳳院は、花園法皇が妙心寺開創の頃に伽藍の傍らに建てて潜居されたところです。ここから関山慧玄に参禅されました。6-639.jpg
法皇縁の由緒ある建物として「玉鳳禅宮」とも呼ばれています。

美濃の山中より招かれた開山である関山慧玄(かんざんえげん)の寂後、開山廟 微笑庵(みしょうあん)を営まれました。6-636.jpg
方丈では、狩野益信、永真筆の襖絵を観る事ができます。廊下からの拝観で、龍図を正面から観られないのは残念なところです。
唐門6-637.jpg
奥の開山堂には、関山慧玄の木像が安置され、絶えず香が焚かれています。その前方には「妙心寺型」と称される石灯籠があります。さらに前方には、平唐門。室町時代 応永十六年(1409)に後小松天皇より御所の門を賜って移築したもので門扉に、応仁の乱の矢傷が残っています。6-638.jpg
「風水泉」と呼ばれる井戸が、歩廊の北側にあります。この場所で関山慧玄が、二世の授翁宗弼(じゅおうそうひつ)に後事を託して入寂したと伝わります。その北側には、秀吉の長男鶴松木像が安置された廟があります。東北の隅には、武田信玄・勝頼・信勝・信豊の供養塔と織田信長・信忠の供養等が並んでいます。開山堂を一回りしてそれらを観て回るのですが、堂の柱がかなりシロアリにやられているのが目につきました。すでに薬剤が仕込まれて処理されているのでしょうが、痛々しい感じでした。

2012年02月01日

待賢門院璋子とその周辺

白河法皇とその寵姫・祇園女御に養われた待賢門院璋子という方は、その姿もお心のうちも天衣無縫といった風情であったろうと推察し、興味深く感じます。6-682.jpg6-681.jpg
この時代にあって、この方の和歌は、全く残っていません。
法皇に何不自由なく育てられ、周りの人々の感情の機微など慮る必要もなく、ただ最高権力者に愛されるべき存在である御自身には、和歌を詠みかけて、相手に心を伝える必要性などは全くなかったのではないかと想像します。軽い感じの今様の方が、彼女の気質にはしっくりきたのではないかしらとも思えます。6-973.jpg

鳥羽天皇の后とされ、戸惑ったものの、法皇と天皇の間に在って後ろめたさも、罪深さも感じてはいなかったであろうと思われます。己があるがまま、受け止められるべき唯一無二の存在であると感じていたのではないかと。白川院という後ろ盾を亡くしても、その立ち位置を脅かす者が、現れるなどとは考えていなかったであろうと想像します。
しかし、鳥羽院としては、白川院の亡霊のちらつく璋子は、愛しつつもその存在は重く、心穏やかに和める相手ではなく、他に安らげる場所を差し出されれば、気移りするのもむべなるかなといったところですね。しかしながら、鳥羽院の中で、その存在はやはりかけがえのないものであったところが、また男女間の趣のあるところでしょうか。三条高倉第に駆けつけて病の床にある璋子を看取り、臨終の際は磬(けい、読経の時に打ち鳴らす仏具)を打ちながら大声で泣き叫んだと伝えられています。

平安時代の初め、天長の頃 (830) 右大臣清原夏野 が山荘を建てたのをはじめとし、待賢門院が復興して、法金剛院とされた寺は、花園の地にあり、極楽浄土を模したその庭では、待賢門院桜や、蓮をながめる事が出来ます。青女の滝は、待賢門院が、林賢(りんけん)と静意(せいじょ)に造らせたもので、巨石を並べた雄大なものですが、現在は水が流れていません。
6-677.jpg
先日の大河ドラマでは、義清に添削されてしまう設定になっていた待賢門院堀川の和歌が、歌碑として、庭の北東にあります。璋子に仕えて出家の供をした待賢門院堀川は歌人として、有名です。6-678.jpg6-676.jpg
寺の西側の道を北へ上がっていくと、地蔵院を越えた先に三叉路があります。6-675.jpg
右の道を進み、また三叉路になったところを、右に進むと前方に待賢門院の眠る花園西陵があります。
6-674.jpg6-673.jpg6-672.jpg6-671.jpg
西陵というからには、東陵がありそうですから、陵を出て通を東に進み、次の道を右に曲がって、丸太町通へ出る途中に、やはり花園東陵がありました。6-670.jpg
鳥羽院と待賢門院璋子の間に生まれた統子内親王のお墓でした。賀茂齋院を務め、後白河天皇の准母(天皇の母でない女性が母に准ずること)となっています。女院号が与えられて、上西門院となり、平治の乱後、法金剛院に入寺出家しています。6-669.jpg


2011年04月27日

京都の桜 2011 龍安寺

4月18日 仁和寺から龍安寺へ
鏡客池
6-956.jpg
6-955.jpg
石庭の枝垂れも、満開を過ぎてはいましたが、なんとか美しさを保っていました。6-954.jpg
6-952.jpg
6-953.jpg
6-950.jpg
6-951.jpg
舞台裏は、このように多くの支柱によって支えられています。6-949.jpg
桜苑6-948.jpg
駐車場にも桜があります。6-958.jpg
6-957.jpg

2011年04月25日

京都の桜 2011 仁和寺

4月18日 どんどん雲行きの怪しくなる中、仁和寺へ、移動しました。6-969.jpg
6-968.jpg6-967.jpg
6-966.jpg
6-965.jpg
表に五分咲きというように書かれていましたが、真ん中の列を除いては、結構満開に近い印象です。6-964.jpg6-963.jpg
6-962.jpg
三つ葉つつじが、鮮やかな色味で、目が覚めるようです。6-961.jpg
6-960.jpg
6-959.jpg
境内での茶店禁止問題が取沙汰されている仁和寺さんですが、すき焼きはともかく、お茶とお菓子ぐらいは残してくれたらよかったのに・・・。

2011年04月24日

京都の桜 2011 法金剛院

4月18日 雲行きが怪しくなりそうな気配の中、妙心寺を少し西へ進んだところの法金剛院をのぞいてみました。6-978.jpg
花色が抜けて葉が出始めていて、雨空の下、泣きたそうな様子が、儚げでいじらしい感じがしました。6-977.jpg
6-974.jpg
去りゆく薄浅いピンクの花に小さな生まれたての葉の色が、季節の移ろいを感じさせ、これはこれで結構、好きです。6-973.jpg
6-976.jpg
6-975.jpg
深山八重紫6-972.jpg
6-971.jpg
6-970.jpg

2011年04月23日

京都の桜 2011 佐野邸・広沢の池

4月18日 千代の古道をぷらぷらと広沢の池まで歩き、途中で、桜守 佐野藤右衛門さんの邸宅の桜を鑑賞させていただきました。6-989.jpg
天保3年創業の「植藤造園」16代目の桜守である佐野藤右衛門さんは、この時期、邸宅の庭を無料で開放されています。いろいろな品種の桜が植えられていて、眺めているうちにどんどん奥へと吸い込まれてしまいます。
6-988.jpg

有明
6-987.jpg

駒繁
6-986.jpg

佐野  昭和5年、15代目当主がヤマザクラの新種を発見、牧野富太郎氏により「佐野桜」と命名されたそうです。6-985.jpg

大提灯
6-984.jpg

雨宿
6-983.jpg

御信
6-982.jpg

広沢の池6-981.jpg
6-980.jpg
6-979.jpg

2011年04月14日

京都の桜 2011 嵐山・天竜寺

4月4日嵐山にも足を延ばしました。131.jpg
観光客で混雑する割には、桜が少ない感じなので、いつもこちらへは来ないのですが、天竜寺が、見頃であるとの話で、やってきました。
天竜寺122.jpg
池の周辺には桜は植えられていません。123.jpg
奥の方に集中しています。
130.jpg
129.jpg
128.jpg
127.jpg
椿とのコントラストが美しいです。126.jpg
125.jpg
124.jpg
121.jpg
120.jpg
啓翁桜119.jpg
こぶしの花117.jpg
118.jpg

2011年01月22日

第45回 京の冬の旅 -妙心寺 鱗祥院-

京の冬の旅 2か所目は、同じ妙心寺内の鱗祥院です。境内図的には隣なのですが、入口がどちらも西側の為、来た道を引き返し、法堂前を通り抜けて、西側に回らなくてはいけません。塀乗り越えた方が近いかも~とか、考えてしまいました。396.jpg
395.jpg
寛永11年(1634)江の長男・徳川三代将軍家光が、春日局の冥福を祈るため、碧翁愚完和尚を開山として建立した塔頭寺院です。394.jpg
393.jpg
写真左手の建物が、後水尾天皇から下賜された御霊屋です。仙洞御所にあった釣殿を下賜され、その後 能舞台としても使われていたものをこちらに移し、御霊屋としました。小堀遠州作と伝わる「春日局坐像」が、正面に安置されています。392.jpg
方丈では、春日局と交友のあった海北友雪の筆による襖絵「雲龍図」「山水図」などを鑑賞しました。雌雄の雲龍図が描かれているのは、めずらしいのではないかと思います。雌の龍の角は、下向きなのですね?!(1枚目の写真の立て看板の龍が雌です。)
391.jpg
春日局が家光より賜わった「百椿図屏風(ひゃくちんずびょうぶ)」には、いろいろな種類の椿が描かれていて、興味深いものでした。390.jpg
     

2011年01月19日

第45回 京の冬の旅 -妙心寺 海福院-

今年も「京の冬の旅」非公開特別公開が始まっていますね。
~戦国・姫君と武将たち~という副題がついて、大河ドラマ「江~姫たちの戦国」の放送を記念して、その時代にゆかりのある寺院などが公開されています。

まず、妙心寺の塔頭 海福院を訪れてみました。401.jpg
元和2(1616)年、福島正則が創建した妙心寺の塔頭寺院で、福島家の菩提寺となっています。「賤ヶ岳(しずがたけ)の戦い」で一番槍として戦功をあげた正則の長~い槍が、掛けられていました。
蘆雁の間には、襖を開けると、点茶や水屋の設備など茶儀の一切が仕込まれた珍しい「押入仕込茶室」なるものがありました。400.jpg
大徳寺の茶づらと違い、そろばんづらの妙心寺は茶の湯を重んじる慣わしがなかったことから、このような造りが生まれたようです。399.jpg
戦で死んだ者の血を入れて供養の為に飲み干したという血痕の残った「陣中杯」なる貝殻の杯が展示されていて、ちょっと信長の髑髏杯のシーンをを思い出してしまいました。398.jpg
住職の留守中に新調されたばかりの唐紙の襖に、狩野探幽が描いたという「猿回し図」が、桐紋の間に消え入りそうに残っていました。

長谷川等伯が大徳寺三玄院の襖に、勝手に四季山水図を描いた話とかぶりますね。年代的には、等伯が先ですね。

福島正則の墓397.jpg

2010年09月10日

護法堂弁財天

鳥居本八幡宮より、少し西に護法堂弁財天があります。釈迦堂清滝道沿いに、護法堂弁財天前というバス停があり、そこを北へ入ってゆきます。851.jpg
850.jpg
849.jpg
848.jpg
来歴等の情報入手できず、詳細は不明ですが、紅葉の隠れ名所であるようです。847.jpg
846.jpg
845.jpg
844.jpg
843.jpg
842.jpg
とても静かな場所です。紅葉の時期にまた訪れてみたいですね。

2010年09月08日

鳥居本八幡宮

嵯峨鳥居本、五山の送り火の鳥居の麓に、鳥居本八幡宮があります。860.jpg
観光地からは外れていて、人気もなく鬱蒼と木々が生い茂り、ちょっと入っていくのが躊躇われる場所です。859.jpg
神社の来歴等は不明のようですが、元々この地にあった寺院の鎮守社として建立されたようです。858.jpg
時代劇のロケ地として、よく使われているそうで、いかにもそれらしい雰囲気が漂っていて、いい感じです。857.jpg
舞殿856.jpg
拝殿855.jpg
854.jpg
853.jpg
852.jpg
立ち回りなどして枯葉をまき散らして遊びたい気持ちに駆られましたが、やぶ蚊に襲撃されそうなので、早々に引き上げる事にしました。

2010年04月20日

京都の桜 2010 勝持寺

4月12日 勝持寺 
鳥羽上皇に仕えていた北面の武士 土佐藤兵衛義清が、この寺にて出家し、名を西行と改めて庵を結び、一株の桜を植えたことから、その桜を西行桜と称し、寺を花の寺と呼ぶようになりました。p7156.jpg
門前の桜もこの雨で散り急いでいる様子です。p7157.jpgp7155.jpgp7154.jpgp7153.jpg
西行桜もかなり葉桜になっていました。p7152.jpgp7151.jpg
p7150.jpgp7149.jpg
「西行桜」

花見んと むれつつ人の くるのみぞ
   あたらさくらの とがにはあるける
                 西行
一人静かに花を楽しもうとしている西行のところへ、俗の花見客が大勢やってきます。西行は思わずこの歌を口ずさみますが、人々を招きいれ共に花を愛でて仮寝をします。その夜、西行の夢の中に、老木から、白髪の老翁が現れ、先ほどの歌の心を問いただします。桜は非情無心の草木であるから、浮世の咎はないといい、自分は桜の精だと名乗り桜を讃えて舞を舞います。やがて夜が明け、西行は夢から覚めます。あたりは一面に敷き詰めたように落花が散り、人影もなくなっています。

この能はまだ観たことがありません。できれば桜の時期に観てみたいものです。今日はまさに人影もなく、花も散っていたので、ラストシーンだけは、体験できたようではあります。

p7148.jpgp7147.jpgp7146.jpgp7145.jpg
p7144.jpg

2010年04月19日

京都の桜 2010 正法寺

4月12日 大原野神社のお向かいにある正法寺も染井吉野はすっかり散ってしまっていましたが、枝垂が花盛りでした。p7166.jpgp7165.jpg
p7164.jpgp7163.jpgp7162.jpgp7161.jpg
p7160.jpgp7159.jpgp7158.jpg


2010年04月18日

京都の桜 2010 大原野神社

4月12日 雨の中、洛西の大原野南春日町にある大原野神社に向かいました。参道では花びらがそこかしこに散っていました。p7167.jpg
鯉沢の池p7168.jpg
拝殿p7172.jpg
千眼桜p7171.jpg
一重の白い枝垂桜で、花が沢山の目のように見えることから千眼桜と名付けられたそうです。樹齢70年ぐらいのようです。p7170.jpg
開いている期間が短いことから、幻の桜とも云われているようです。
p7169.jpg
京都新聞によれば、今年は8日に一斉に咲き始め、16日に半分ぐらい散っていたそうですから、ちょうど良い時に見たようです。


2010年04月13日

京都の桜 2010 洛西状況

4月12日 雨
洛西の大原野神社では、千眼桜(センガンザクラ)と呼ばれる遅咲き一重の枝垂れ桜が見頃を迎えていました。あいにくの大雨でしたが、咲いている期間が短い事で有名なこの桜を花盛りの時に見る事ができたのは、ラッキーだったかもしれません。

お向かいの正法寺も枝垂が美しく見頃を迎えていました。

さらに奥の勝持寺、通称 花の寺は、雨に遭って一気に散ってしまった染井吉野の花びらで、地面が覆われていました。西行桜は敷き詰められた落花と雨に濡れた若い葉が目に美しく、能の「西行桜」のラストシーンを連想させました。

2010年02月17日

後嵯峨天皇

文永9年2月17日(1272年3月17日)後嵯峨上皇が亡くなりました。53歳でした。

先日、ご紹介した四條天皇の次の天皇です。四條天皇が十二歳で崩じ、順徳天皇の皇子 忠成王と共に皇位継承候補にあがった土御門天皇の皇子 邦仁(くにひと)親王です。親王は、父 土御門院が承久の乱のより、土佐に配流されたため、不遇な暮らしを強いられていましたが、順徳天皇と違い、土御門院が直接、乱に加わっていなかったことなどから、幕府の意向で、即位が決まりました。立太子を経ず践祚、仁治3年(1242)3月18日に即位しました。
p8298.jpgp8297.jpg
寛元4年(1246年)に在位4年で皇子の久仁親王(後深草天皇)に譲位し、院政を開始。正元元年(1259年)には後深草天皇に対し、後深草天皇の弟である恒仁親王(亀山天皇)への譲位を促し、後深草・亀山二代にわたり院政をとりました。

そして、後深草上皇の皇子ではなく、亀山天皇の世仁親王(後の後宇多天皇)を皇太子にした事が、後の持明院統(後深草天皇の血統)と大覚寺統(亀山天皇の血統)の確執のきっかけとなり、それが南北朝時代、更には後南朝まで続く大乱の源となってゆきました。


袖ふれば 色までうつれ 紅の 
     初花染めに 咲ける梅が枝
p7673.jpg

2009年12月15日

小野篁

承和5年(838年)12月15日 遣唐使の副使を断り、遣唐使制度そのものを批判したことから、小野篁(たかむら)は、嵯峨天皇の怒りに触れて隠岐へ流罪になりました。承和7年(840年)には帰京を許され、従三位にまで叙せられました。
わたのはら 八十島かけて こぎ出ぬと 
      人には告げよ あまの釣船
これは島へ渡る際の歌です。

初代・遣唐使の小野妹子の子孫で、小野道風・小野小町のご先祖でもありますが、冥府に通い、閻魔王庁で裁判を手伝っていた人物としても有名です。
井戸を通って地獄に赴いていたのですが、その入り口は東山の六道珍皇寺に今もあります。出口の井戸はというと、嵯峨の福生寺にあったのですが、現在は井戸も寺も存在しません。嵯峨釈迦堂の東のあたりは六道町といい、かつて福生寺のあったあたりです。

地獄で、苦しむ亡者のために罪を受けているという地蔵尊に出会い、現世に戻り福生寺を建立して地蔵尊を祀ったということで、嵯峨釈迦堂藤ノ木町の薬師寺にその地蔵尊は伝えられています。
p7881.jpgp7880.jpg
閻魔大王が、三熱の苦しみにあえいでいて、菩薩戒を受けたいと望んだ折には、満慶上人を案内し、上人の菩薩戒で閻魔大王の苦しみを除いたという話もあります。これは、寺町三条上るの矢田寺に伝わる話です。p7879.jpgp7878.jpgp7877.jpgp7876.jpg
布製のかわいいお地蔵さまのお守りがなんともいい感じです。p7875.jpg

2009年10月12日

小倉百人一首

右京区嵯峨二尊院門前北中院町に小倉山荘旧址厭離庵(おぐらさんそうきゅうしえんりあん )という臨済宗天龍寺派の尼寺があります。ここは藤原定家の小倉山荘跡で、定家が百人一首を撰したところと云われています。通常非公開で、紅葉の頃のみ、拝観できます。p8287.jpg
定家は、子の為家の舅 宇都宮頼綱(蓮生入道)から依頼されて、古来の名歌を選び障子色紙に書き記しました。この色紙が小倉百人一首のもとになったといわれていて、このあたりには、定家の小倉山荘と頼綱の中院山荘がありました。この山荘は、為家の子孫である冷泉家によって江戸時代に修復され、霊元法皇から厭離庵の号を受けました。p8286.jpg
常寂光寺と二尊院にも定家の「時雨亭」跡とされる所があり、定かでないようですが、このあたりであった事にはまちがいないでしょう。
亀山公園の小倉百人一首 前回のアップから、大分時間が立ってしまいましたが、続編です。
p8285.jpgp8284.jpg
この「忍ぶれど・・・」と次の「恋すてふ・・・」の歌は村上天皇の代の時、内裏歌合の席で詠まれた歌で、いずれ劣らぬ優れた歌として審判の左大臣藤原実頼が優劣の判定を下すことができず、天皇の意向を仰ぎ、ようやく兼盛の「忍れど・・・」の歌を勝ちとしたと伝えられています。敗れた忠見は、このことを憂い病床に臥してしまい、終には没したとも云われています。
p8283.jpgp8282.jpgp8281.jpgp8280.jpgp8279.jpgp8278.jpgp8277.jpg
左大臣源融の邸宅であった河原院は、平安京に営まれた邸宅の中でも、もっとも豪壮なもので、源氏物語の六条院のモデルともいわれていた邸園でしたが、源融から4代目の孫 安法法師が住んでいた頃には荒れ果てていて見る影もなかったそうです。この歌は安法法師と親しかった恵慶法師が、この荒廃した河原院の立秋の風趣の中に、人の世のはかなさを詠んだ歌であるそうです。
p8276.jpgp8275.jpgp8274.jpgp8273.jpg
この歌は、長保元年(999年)に道長に従って嵐山の紅葉見物に行った時の歌です。この時すでに、嵯峨上皇の造った滝は枯れて形ばかりとなっていたのですね。嵯峨天皇が即位されたのが、809年ですから、それなりの年月が流れているわけです。p8272.jpg

2009年10月11日

千代の古道 生田口-大覚寺

昨日に続き、千代の古道を行きます。
生田口 大黒屋を右に曲がり、北上する道の右脇に立っているはずの石碑がありません。p8307.jpg道路も真新しく、右手は分譲中とあって、一時抜かれているのかも?もしくは近くに引っ越した?

さがの山 千代のふる道 あととめて
    また露わくる 望月の駒
          藤原定家
という歌が刻まれていたようなのですが・・・。

ともかく、北へ。新丸太町通から北へ上る山越通の右角にありました。p8306.jpg
いにしへの 千代の古道 年経ても
猶あとありや 嵯峨の山風
            後鳥羽院       
p8305.jpg
山越通を北へp8304.jpg
信号機の近くにありました。p8303.jpg
光孝天皇が、嵯峨天皇の例にならい、芹川に行幸した際に供奉した行平が詠んだ歌

さがの山 みゆき絶にし 芹川の
    千世のふる道 跡はありけり
         在原行平朝臣
p8302.jpg
道は左にカーブしてさらに進みます。別の道との合流地点に次の石碑がありました。p8301.jpg
里人も 千代の古道 幾かへり
   春の嵯峨野の 若菜つむらん
            藤原為家
小倉百人一首の定家の息子さんです。
p8300.jpg
さらに古い石碑もありました。p8299.jpg
少し進んで、29号線との交差点左側にありました。p8298.jpg
子の日せし 千代の古道 跡とめて
    昔を恋ふる 松も引かなん
            後嵯峨院
吉野の桜を取り寄せ、嵐山に植えた方です。嵐山の春の賑わいはこの方のおかげです。
p8297.jpg
交差点を左に曲がると、もうすぐ広沢の池です。
文徳帝の御陵を示す石碑p8296.jpg
横に、刻まれている文字 最後は千代の中道かと?p8295.jpg
広沢の池に出ました。p8294.jpg
池を通り過ぎたところ、右手に発見p8293.jpg
御幸せし 昔の秋の 跡とめて
紅葉をわくる 千代の古道
          村田春海
村田春海さんという人は江戸の歌人だそうです。
p8292.jpg
ここで、29号線から、北の方へ入ってゆきます。田んぼ道の曲がり角にありました。p8291.jpg
君が代の 千代の古道 ふりはへて
引くや子の日の 嵯峨の山松
         加藤千蔭 
この人も江戸の歌人だそうです。
p8289.jpg
生田口から、大覚寺までの歌碑は、「千代の古道」が歌に詠み込まれたものがセレクトされているようですね。

謡「小督」の中にも下の一節が出てきます。

所を知るも嵯峨の山 御幸絶えにし跡ながら
千代の古道たどり来し 行方も君の恵ぞと

そして、ようよう大沢の池に着きにけり~(^^)p8288.jpg

2009年10月10日

千代の古道 梅宮大社-生田口

平安時代の貴族が北嵯峨に遊行の折りに通った道を、千代の古道(ちよのふるみち)と呼んでいます。

京福電車北野線 常盤・鳴滝あたりから、音戸山(おんどやま)の西側に沿って広沢池、大覚寺へとたどる道とも、梅宮大社辺りから大覚寺へ向かう道とも云われています。

この道であったと決まっているものでもないようですが、現在はロータリークラブによる歌碑があちこちに立てられています。
1980年に、大覚寺から生田口までの約2キロ間に7つの道標を建て、2005年に梅宮大社-生田口の約1キロ間に道標5基を建立したそうです。

新古今和歌集の藤原定家の歌など、平安時代の多くの歌にも詠まれていて、十二単衣の姫君や供連れの公達たちが牛車を仕立てて、先日の観月の夕べのような水遊びやお月見のために通ったのかと思うと、何か楽しげで、興味が湧きます。

今日は梅宮大社-生田口の道を辿ってみました。

梅宮大社の側道を東へp8322.jpg
北へ向かう道の脇にありました。p8321.jpg

夕されば 門田の稲葉 おとづれて
   蘆のまろやに 秋風ぞ吹く
      大納言経信(だいなごんつねのぶ)

白河天皇の嵐山行幸の際、詩・歌・管弦の三船を浮かべ、それぞれに秀でた人を船に乗せましたが、遅刻してきて、どの船でもよいから岸に着けてくれと呼びかけた人です。
以来、「三船の才人」と呼ばれました。

p8320.jpg
この道を北へ、左のほうにカーブしながら道は続きます。
曲がり角のブロック塀に案内の→がありました。p8319.jpg
さらに北へp8318.jpg
石碑が見えてきました。p8317.jpg
めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に
    雲隠れにし 夜半の月かな
           紫式部
p8316.jpg
さらに北へ進み、右へ曲がる道の左側にありました。p8315.jpg
夜をこめて 鳥の空音は はかるとも
    よに逢阪の 関はゆるさじ
           清少納言
p8314.jpg
高田橋を渡って、北へp8313.jpg
今度は、道の右側にありました。p8312.jpg
秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ
    わが衣手は 露にぬれつつ
           天智天皇
p8311.jpg
さらに北へ進んで三条通に出る角、大黒屋前に古い石碑と真新しい石碑がありました。
p8310.jpg
小倉山 峯のもみじ葉 こころあらば 
     いまひとたびの 御幸またなむ
            藤原忠平
宇多上皇が紅葉の小倉山に感嘆して、わが子醍醐天皇にも行幸するよう勧めたのを、忠平が天皇に伝えて、詠んだ歌です。p8309.jpgp8308.jpg

歌は小倉百人一首からのセレクトようですが、選ばれた理由が今一理解できないのもあるような?
かといって、小倉百人一首の中には、千代の古道にふさわしい歌もあまりないようですが・・・。

2009年10月09日

大覚寺 観月の夕べ

昨日に続き、大覚寺 観月の夕べです。
あちこち、美しくライトアップされていました。p8331.jpg
このような車に乗って、当時の人々は平安京の内裏から千代の古道を通り、ここまで月見に出掛けてきたのでしょうか?結構、距離あります。
p8330.jpgp8329.jpg
勅使門p8328.jpg
笛と子鼓の演奏が、闇に響いていました。p8327.jpg
p8326.jpgp8325.jpgp8324.jpg
p8323.jpg

2009年10月08日

大覚寺 観月の夕べ -龍頭鷁首舟-

10月3日 仲秋の名月という事で、ススキを飾り月見団子を食べ、それから大覚寺のお月見に行きました。p8350.jpgp8352.jpgp8351.jpg

舟に乗ろうとする人が大勢並んでらして、大賑わいです。
龍頭舟p8349.jpg
月と鷁首舟p8348.jpg
鷁首p8346.jpg
結構、可愛い顔をしています。p8345.jpg
龍頭 吼える!?p8344.jpg
9世紀初め、嵯峨天皇が大沢池に船を浮かべて文化人と共に遊ばれたことが始まりだと言われているこの舟遊びは、お茶席が設けられ、琴を奏でて、平安の王朝絵巻さながらに優雅な風情です。(でも人多すぎ~)p8343.jpg
池を一周して、戻ってきます。p8342.jpg
p8341.jpgp8340.jpgp8339.jpgp8338.jpgp8337.jpg
龍頭アップp8336.jpg
茶室「望雲亭」と龍頭舟p8335.jpg
p8334.jpg
茶室「望雲亭」でお茶を頂きましたが、こうしてライトアップされた茶室を池の反対側から眺めている方が美しかったです。p8333.jpg
着いた頃には出ていた月が、雲の陰に隠れてしまっていましたが、また顔を出してくれました。もっとも、すでに空高い位置に移ってしまっていて、舟と一緒の写真は、もう撮れませんでした。雲が龍の胴の模様のようになっていて、それはそれで、美しい眺めでした。p8332.jpg

2009年09月30日

夢窓疎石

観応2年9月30日(1351年10月20日)鎌倉時代末から南北朝時代、室町時代初期にかけての臨済宗の禅僧 夢窓疎石が亡くなりました。

晩年は臨川寺を以って隠居所とし、この寺で没しています。
p8482.jpg

後醍醐天皇の皇子世良親王が元翁本元を開山として招いて創建しようとしたが、親王が建立する前に没したために、父の後醍醐天皇が1335年(建武2年)夢窓疎石を開山として建立しました。p8483.jpg

ちればとて 花はなげきの 色もなし 
   我がためにうき 春の山風


まろくても まろかるべきは 心かな
   角のあるには 物のかかるに

 (角があると、物がひっかかるというのは、さすがに、うまい事をおっしゃるものですね~。)

雲よりも 高き所に 出でてみよ
   しばしも月に へだてやはある

 (宇宙船に乗ればいいのか! もちろんそういう次元の話ではありません。)

2009年09月27日

嵯峨 彼岸花・コスモス

9月21日 広沢池の周辺には彼岸花が咲いていました。
p8503.jpgp8502.jpgp8501.jpg
特別保存地区の田園p8500.jpgp8499.jpgp8498.jpgp8497.jpg
p8496.jpgp8495.jpgp8494.jpg
p8493.jpgp8492.jpgp8491.jpgp8490.jpg

2009年09月26日

安倍 晴明

寛弘2年9月26日(1005年10月31日)平安時代の最も有名な陰陽師の一人 安倍 晴明が亡くなりました。

中世から知られている古い晴明塚が嵯峨嵐山駅近くにあり、晴明神社が管理されています。☆印の石塔が建っています。
p8531.jpgp8530.jpgp8529.jpg
晴明さんのエピソードは数々ありますが、ここ広沢の遍照寺に寛朝僧正を訪ねた時、式神を使って蛙を殺して見せたという話が今昔物語に残っています。
広沢の池と遍照寺山p8509.jpg
p8508.jpg
永祚元年(989年)花山天皇の御願により寛朝が創建した平安時代の遍照寺は広沢の池の北西から西側一帯を占めていました。p8507.jpgp8506.jpg遍照寺の御堂跡と見られる遺構が平成4年に史跡に指定されたそうですが、立ち入りできない場所にあるようで、見る事ができませんでした。
近世になって復興された遍照寺は、池より南の方、嵯峨広沢西裏町にあります。p8505.jpgp8504.jpg

2009年09月20日

村岡局

亀山公園の百人一首歌碑を巡っているうちに、村岡局の銅像に遭遇しました。
p8545.jpg
p8544.jpg
先の大河ドラマで、篤姫に賜った三つ葉葵の御紋入り内掛けをまとって、取調べの場に出てきた女性です。
大覚寺門跡家臣 津崎左京の娘で、本名 津崎 矩子(つざき のりこ)。
近衛家に長く仕えていました。 篤姫が近衛忠煕の養女として家定に輿入れする際、近衛忠煕の正室・郁姫がすでに亡くなっていたので、代わりに養母としての役目を果たしました。

近衛忠煕を動かす人物として、尊攘派の注目を集めることとなり、僧月照や西郷隆盛らを取り次ぎ、公家と志士の連絡等尊攘運動に尽力しました。
この為、安政の大獄で捕われ、江戸へ送られ厳しい尋問を受ける事となりました。
江戸への捕われの旅でよんだという歌が残っています。

日日に かはる旅路に かはらぬは
     人の心の まことなりけり

30日間の禁固刑の後、京に戻り、北嵯峨の直指庵を再興してそこで余生を過ごしました。
雨あられ 激しく降れど 軒深き
     わが家はそれと 聞こえざりけり
p8543.jpg
明治6年8月23日 88歳で亡くなりました。
p8542.jpg
写真は亀山公園を下りてきた竹薮の道です。

2009年09月15日

亀山天皇と近頃の亀山公園

第90代亀山天皇は、鎌倉時代 嘉元3年9月15日(1305年10月4日)に亡くなっています。

後嵯峨天皇の第七皇子で、正元元年(1259年)、父の後嵯峨上皇や、生母の大宮院の強い意向で兄の後深草天皇の譲りを受けて践祚されています。

後深草天皇の血統(持明院統)と自らの血統(大覚寺統)とが、交互に皇位継承を行う両統迭立の始まりです。
院政中には2回の元寇が起こり、自ら伊勢神宮で祈願されています。

父 後嵯峨院が嵯峨野に建造した離宮亀山殿を伝領し、退位後は仙洞としてそこで崩御されています。分骨されていますが、天龍寺境内に亀山殿法華堂を以って陵とした亀山陵があります。隣接する亀山公園には火葬塚があります。
p8564.jpg
川沿いのお食事処と百日紅p8563.jpg
ところで、この亀山公園に、平成19年10月 小倉百人一首文化財団によって、「百人一首歌碑」が建立されました。
小倉百人一首の殿堂「時雨殿」周辺の5つの地域に点在しているのですが、亀山公園には、49首の歌碑があるそうです。
この歌碑の建立に関しては賛否両論あるようですが、ブロガーのサガというか、見つけてしまったので思わず写真を撮り歩く事となり、天皇の火葬塚をパスしてしまいました。p8562.jpgp8561.jpg

p8560.jpgp8559.jpg

p8558.jpgp8557.jpg

p8556.jpgp8555.jpg

p8554.jpgp8553.jpg

p8552.jpgp8551.jpg

p8550.jpgp8549.jpg
歌碑は次回に続く。

1基あたり約300万円だそうで、×100ですから、かなりの高額です。
それはさておき、この小倉百人一首は、時代的には84代順徳天皇で終わっていますから、当然亀山天皇の歌はありません。それで、最後に今の季節の亀山天皇の歌を探してみました。

あまつかぜ 空にたちつつ あらかねの
    土の色にぞ 秋もみえける

嘉元元年(1303年)頃に詠まれた百首歌。
「あらかねの」は「土」の枕詞。夏と秋では、土の色も異なっていると早秋を感じての歌です。

2009年09月07日

嵯峨天皇

桓武天皇の第二皇子である嵯峨天皇は、延暦5年9月7日(786年10月3日) に生まれています。

兄・平城天皇の即位に伴って皇太弟となった後、病気のため退位した平城天皇に代わり即位するも、平城天皇が復位を試みた「薬子の変」が発生する。

このことにより、異母弟の大伴親王(淳和天皇)を皇太弟に立てた事によって、また新たな火種を生み出しています。(承和の変へと)

退位後は冷然院さらには、嵯峨院を造営して住まいとしました。
冷然院跡の石碑 二条城北東p8598.jpgp8597.jpg
嵯峨院跡p8605.jpgp8604.jpg
p8603.jpg
嵯峨院の庭園に設けられていた名古曽滝は大沢池の北方に位置しています。 p8599.jpgp8510.jpg
p8600.jpg
北嵯峨赤阪町p8601.jpg
今は田園風景の広がる地域です。p8602.jpg

2009年09月03日

高倉天皇と小督局

後白河天皇の第7皇子である高倉天皇は、応保元年9月3日(1161年9月23日)に生まれ、8才で即位しています。当然、後白河法王の院政下にありました。

母親は、平清盛の妻 平時子の異母妹である平滋子ですから、清盛は叔父にあたります。

11才で、6才年上の清盛と時子の娘 平徳子(後の建礼門院)を中宮にむかえています。
そして生まれたのが安徳天皇ですから、思いっきり平安末期ですね。

そして、ここに中宮徳子に仕えた宮中一の美女で琴の名手であったという小督局が登場します。

権中納言藤原成範の娘である小督局は清盛の女婿藤原隆房に見初められたのち、
高倉天皇の寵愛を得ることになります。
これにより、清盛に憎まれることとなった小督局は、嵯峨の山中に身を隠します。p8630.jpg

天皇は源仲国に小督局を探し出すよう命じ、仲国は琴の音を頼りに探し当て、連れ戻します。
p8633.jpgこの時奏でていたのが、琴の秘曲「想夫恋」だそうです。p8632.jpgp8631.jpg
再び天皇の寵愛を得て、皇女(範子内親王)を生みますが、清盛の怒りを買い、尼にされて追放されます。時に23才。p8628.jpg川縁に咲いていた花p8627.jpg
謡曲になっていますが、まだ観た事がありません。ぜひ観てみたいものです。

2009年08月09日

狩野元信

文明8年8月9日(1476年8月28日)に 室町幕府 の 御用絵師 狩野派の祖・狩野正信の子である狩野元信は誕生したそうです。応仁の乱の終末の頃です。狩野派2代目で、漢画様式に大和絵の技法を取り入れ、狩野派の基礎を築きました。
上京区元誓願寺通小川東入北側に、その屋敷跡の石碑が立っています。P8782.jpg
元信はここで生まれ、84歳で没しました。その後、狩野家歴代がこの地に住んだといわれています。この附近を俗に狩野図子と呼んだそうです。

昨日取り上げた退蔵院に、元信の作庭である枯山水庭園があります。方丈に面したお庭で、法要の為、正面から眺める事はできませんでしたが、通常拝観のコースから、写真を撮りました。P8781.jpg
P8780.jpgP8779.jpgP8778.jpgP8777.jpg元信の晩年の作品で、いわゆる枯山水の典型的な庭よりも、絵画的なメリハリがあるようです。
退蔵院の北に位置する霊雲院には代表作「山水花鳥図」が残されています。P8775.jpg

そして、随分ご近所にそのお墓がありました。
堀川上御霊東入の妙覚寺さんです。境内を入って左側の唐門前に墓の所在を記した石碑があります。P8783.jpg境内より出て北西の方角、紫明通小川下がる西側に妙覚寺さんの墓地があります。P8786.jpg左奥の方、大きな切り株の近くにその墓はありました。P8785.jpgP8784.jpg元信(2代)・永徳(5代)・貞信(7代)・安信(8代)・時信(9代)・高信(12代)・泰信(13代)の墓だそうです。
よぉ~お参りしといたら、絵が上達するかしらん?

2009年08月08日

ひょうたんの日

数字の「8」がひょうたんの形に似ていることから、全日本愛瓢会が8月8日を「瓢箪の日」と制定しました。というわけで、今日は瓢箪に関係したお寺を取り上げます。

〈福勝寺〉
千本出水西入の福勝寺は別名をひょうたん寺といいます。その由来には、2つの話があります。
P8799.jpg
1つは、秀吉が、福勝寺の歓喜天を篤く信仰し、出陣の際に武運を祈願して瓢箪を奉納し、戦いに勝つとその瓢箪を頂戴して帰り、千成瓢箪を造って旗印にしたという逸話によるというものです。

又1つは、福勝寺の創建以来伝わる伝統的なお守りが、宝珠(ほうしゅ)を2つ重ねた形をしていることから、それがひょうたんの形に似ているとして、鎌倉時代ごろからひょうたんをお守りとして用いるようになったというものです。

〈退蔵院〉
右京区花園の妙心寺 塔頭である退蔵院は、如拙の傑作 国宝「瓢鮎図(ひょうねんず)」で有名です。
P8798.jpgP8788.jpgP8787.jpgP8797.jpgパンフレットからのコピー 瓢鮎図P8776.jpgP8796.jpg茶室にも瓢箪の意匠が施されています。P8795.jpgP8794.jpg内側からP8793.jpgお抹茶と瓢鮎菓子を頂きました。P8792.jpgご住職の手による掛け軸P8791.jpgP8789.jpgP8790.jpg

2009年08月03日

豊臣秀頼

天正19年(1591年)に鶴丸を亡くして失意の秀吉に、文禄2年8月3日(1593年8月29日)待望の男子 拾丸(ひろいまる)が誕生します。
後の豊臣秀頼ですが、慶長3年8月18日(1598年9月18日)の秀吉の死により、家督を継ぐ事となります。
幼子の将来を心配し、家康に秀頼の後見人になるよう頼み、秀吉は亡くなりますが、そんな約束が守られるはずもなく・・・。P8823.jpg
清凉寺 (嵯峨釈迦堂という呼び名の方がわかりやすいですが)にある墓P8822.jpg
P8821.jpgこの人の場合やっぱり気になるのは、父親は誰か?という事なんですけどねぇ。

2009年08月01日

伏見城 落城とその遺構

関ヶ原の戦の前哨戦となった伏見城の戦いは、慶長5年7月18日(1600年8月26日)に始まり、8月1日(1600年9月8日)の鳥居元忠の討死、伏見城落城で幕を閉じました。後に、家康によって再建されましたが、次第に軍事的な必要性を失い、廃城となります。解体された遺構が、各地に残っています。
二尊院 嵯峨 
 総門 角倉了以が伏見城の薬医門を移築した門といわれています。
P8824.jpg

観音寺 七本松通出水
 山門 伏見城の牢獄の門と伝えられています。
P8825.jpg
堅牢な構えで、屋根の傾斜も美しく、朽ちかたも怪しい感じが漂い、歴女心をくすぐります(^^)P8828.jpgP8827.jpgP8815.jpg
門扉の左下(境内側から見て)に、くぐり戸があります。刑期を終えた囚人が牢獄を出る際に、ここをくぐって出たと云われています。P8820.jpg
門を出た囚人はこの門前で百たたきを受け、開放されたことから「百たたきの門」とも呼ばれていたといいます。
P8826.jpgP8819.jpgP8818.jpg
観音寺にこの門が移築されてより、夜ごと、風が吹くと人の泣き声がするといわれ、出水の七不思議の一つに数えられています。P8816.jpg

2009年07月17日

承和の変と淳和院

承和9年(842年)7月15日に嵯峨上皇が崩御され、その2日後の17日に承和の変(じょうわのへん)が起こっています。
皇位継承者をめぐるそれぞれの思惑が交差する中、藤原良房によって、伴健岑・橘逸勢らが、謀反を企てたとして捕らえられ、皇太子恒貞親王を廃し、道康親王(文徳天皇)を立太子するという出来事です。
P8916.jpg画像の拡大

恒貞親王は仁明天皇の皇太子に立てられていたが、仁明天皇と藤原順子(藤原良房の妹)の間に生まれた道康親王を皇太子に擁立しようとの動きがあることを察し、皇太子の辞退を願い出ていたが、認められずにいました。
承和7年に父 淳和上皇が有力な後ろ盾のいない息子 恒貞親王の身を案じながら崩じ、さらには、嵯峨上皇が死の床につき、皇太子の身に危険がおよぶ不安が強くなり、皇太子に仕える伴健岑らが、東国に入って難を避けてもらおうと考え、7月10日 阿保親王に相談を持ちかけたところ、阿保親王が太皇太后橘嘉智子に上呈し、太皇太后は、中納言藤原良房に伝えることとなります。
この事件の結果、他氏を排斥した良房は出世を重ね、人臣初の太政大臣となり、藤原氏繁栄の基礎を築く事となります。
右京区西院 北東にある高山寺前の石碑P8923.jpg
淳和上皇は長男の恒世親王を在位中に亡くし、退位後は、淳和院(西院)に皇太后となった正子内親王(淳和太后・嵯峨天皇の皇女)と暮らしていましたが、崩御の際、薄葬にし、火葬の上、砕いて散骨するよう命じて亡くなっています。淳和上皇の終焉の心情には、感じ入るものがあります。大原野西嶺上(現在の小塩山)がその地であるそうですが、機会があれば訪れてみたいと思います。

承和の変の後、正子内親王と恒貞親王は淳和院で静かに仏道修行に専念しています。

貞観18年(876年)、嵯峨天皇の住まいされていた嵯峨院を、長女である正子内親王が大覚寺と号し、恒寂入道親王(恒貞親王)が初代門跡(住職)となっています。

佐井通四条上ルの春日神社境内には、淳和院の礎石と伝承されるものがあります。P8920.jpg佐井通四条北東角の大型電気店の壁に発掘の際の説明板があります。P8919.jpgP8918.jpg

2009年06月13日

梅宮大社 あじさい他 その2

6月7日の 梅宮さん 紫陽花の続きです。P9195.jpg
柏葉紫陽花という品種のようで、ちょっと変わっています。P9196.jpgP9187.jpgP9185.jpgP9186.jpgP9183.jpgP9184.jpgP9182.jpg
P9181.jpgP9179.jpgP9180.jpgP9178.jpg純白の睡蓮も美しかったです。P9177.jpgP9176.jpg

2009年06月12日

梅宮大社 あじさい他

6月7日 梅宮さんでは、紫陽花も見頃でした。P9202.jpg
橋の上に立っていると、鯉が集まってきました。P9201.jpg
この人、餌くれるんちゃう?P9200.jpg
早よ、餌 放ってぇな!P9199.jpg
何や、くれへんのかいな。しょうもなぁ~。P9198.jpgP9194.jpgP9192.jpgP9193.jpg
さつきP9191.jpgP9190.jpgP9189.jpgP9188.jpgP9197.jpg

2009年06月10日

梅宮大社 花菖蒲 その2

6月7日 梅宮さんの続編です。P9223.jpgP9224.jpgP9225.jpgP9226.jpgP9227.jpgP9228.jpgP9229.jpgP9230.jpgP9231.jpgP9232.jpgP9233.jpgP9234.jpgP9235.jpgP9236.jpgP9237.jpgP9238.jpg
P9239.jpg

2009年06月09日

梅宮大社 花菖蒲

6月7日 梅宮大社の花菖蒲を見に行きました。P9240.jpg受付猫
P9209.jpg今日は朝から、だるおすし・・・P9208.jpgなんのお構いもできしまへんよって・・・P9207.jpg好きに観ていっておくれやす。P9210.jpgP9211.jpgP9212.jpgP9213.jpgP9214.jpgP9215.jpgP9216.jpgP9217.jpgP9218.jpgP9219.jpgP9220.jpgP9221.jpgP9222.jpg

2009年02月24日

金閣寺(鹿苑寺)

雪の金閣寺に間に合うかしらと、岩倉から移動しましたが、残念でした。岩倉とは、やはり温度差があるようで、雪は舞っているものの、屋根はさっぱりです。RIMG021728.gif鳥たちも寒そう。RIMG021729.gif雪が程よく乗っかった金閣はなんとも美しいものですが、なかなかタイミングが合いません。過去に実際に見たのは一度きりで、高校生の時でした。
RIMG021730.gifRIMG021731.gif
当時、三島由紀夫に傾倒していた私は、授業中、いい感じに降り出した窓の雪を眺めながら、今頃、金閣寺は綺麗だろうなぁと考えました。金閣が私を呼んでいる!思いついたら、すぐ実行してしまう私は、呆れる友達を誘い出し、学校を抜け出しました。制服をコートとマフラーで隠し、隣接する大学生のふりをして、守衛さんの目を欺き、門からの脱出に成功しました。RIMG021732.gif
RIMG021733.gifバスを乗り継いで、辿り着いた金閣は格別に美しく、ほら、こんなにも美しい姿は滅多に見れるもんじゃない。授業なんか受けてる場合じゃないよと、主張したものです。
RIMG021734.gifRIMG021735.gif
RIMG021736.gifRIMG021737.gif
現在、方丈の杉戸絵が、新しく描かれたということで、特別公開中でしたので、これも観たいと思っていたので、また受付に戻り、拝観しました。方丈だけで1000円も別に取るのは、ちょっと不満でしたが。
こちらはセキュリティーも万全で、絵の肌合いを見ようと近づくと、すぐさまブザーがなります。2回も鳴らして、注意を受けてしまいました。RIMG021738.gif

2009年02月20日

嵯峨釈迦堂(清凉寺) 梅

嵯峨釈迦堂まで、足を延ばしました。RIMG021636.gif
RIMG021637.gif
RIMG021638.gif
RIMG021639.gif
RIMG021640.gif
風の激しい夕刻、境内の人影は、まばらです。RIMG021641.gif
RIMG021642.gifRIMG021643.gif
RIMG021644.gif
RIMG021645.gifRIMG021646.gif
あられのような雪が舞い始め、退散です。

2009年02月19日

梅宮大社 梅

2月16日 風の強い中、梅宮大社へ出掛けました。RIMG021608.gif楼門前から紅白の梅が咲いています。
RIMG021609.gif
お庭に入らなくても、境内の中だけでも結構咲いてます。RIMG021610.gif
RIMG021611.gif社務所 受付係
わ~、目ぇ、つむってしもたやん!もっかい撮って~!RIMG021612.gif
ハイ、ポーズ!RIMG021613.gif
入苑券を買ってお庭に入りました。RIMG021614.gif
いろいろな品種の梅が植えられているようですが、その辺は、ザックリと・・・。RIMG021615.gifRIMG021635.gif
RIMG021616.gif
RIMG021617.gifうごめく梅?RIMG021634.gif
RIMG021618.gif
RIMG021619.gifRIMG021620.gif
RIMG021622.gif本殿裏を取り囲むように、広いお庭が続いています。
RIMG021623.gif
RIMG021624.gifRIMG021628.gif
RIMG021629.gifRIMG021630.gif
RIMG021631.gif
梅の他にはRIMG021621.gif
RIMG021625.gifRIMG021626.gif
RIMG021627.gif出口に気づかずに、戻って入口から出てしまいました。RIMG021632.gifRIMG021633.gif

2009年01月22日

京の冬の旅 パート1

1月19日 天神さんを出て、妙心寺に向かいました。
第43回非公開文化財特別公開が、行われています。
このお寺は、広大な敷地内に多くの塔頭がありますが、今回は、衡梅院と三門の公開です。

衡梅院  文明12年(1480)、妙心寺中興の祖・雪江宗深(せっこうそうしん)を開山として創建された塔頭寺院。RIMG011913.gif
雪江禅師と4人の弟子に因んで名づけられた「四河一源の庭」
石が、それぞれの弟子を表しているそうです。

部屋の襖には、狩野派の絵師・大岡春トによる絵が、描かれています。墨のタッチが、繊細かつ大胆なようすです。

茶室「長法庵」の天井の一部には、楠木の一枚皮が張ってあり、変わった趣があります。
RIMG011914.gif
蓮をデザインした鐘

三門  東福寺、大徳寺に次いで古い慶長4年(1599)に造営された重文RIMG011915.gif
観音菩薩像や、十六羅漢が祀られ、天井には、人面鳥身の迦陵頻伽(かりょうびんが)や、龍、楽器が描かれ、内部は、当初は極彩色であったろう様子が未だによく残っています。
極楽浄土が、こんな色調だと、ちょっと疲れるなと、思ってしまいました。

2008年10月15日

等持院

10月13日 植物園のあと、等持院に向かいました。狩野興以筆方丈障壁画や等持院絵図(重文)、長谷川等伯筆秀吉像などが公開される秋の特別展の最終日でした。RIMG1013200.gif
方丈の南側 枯山水RIMG1013201.gif
特別展の前には、係りの人が座ってらしゃいましたが、歴代の将軍木像の安置された部屋は、新たにセンサーが取り付けられ、真新しい枠組の設置準備中でした。少し前に尊氏・義晴 両木像の左手首と、その他5体の刀の柄が、盗まれたばかりですから、無理もありません。
等持院では、幕末の1863年2月22日に「足利三代木像梟首事件」というのが、あったそうです。足利尊氏、2代義詮、3代義満の木像の首と位牌が持ち出され、賀茂川の河原に晒された事件で、将軍家への挑戦だったようですが、今回のは?
まさか、昨年より、時代祭に室町時代が加わった事への抗議でも、新内閣への挑戦でもないですよねぇ~。
RIMG1013205.gif
夢窓国師の作庭といわれる三大名園の一つ
方丈の北側 東西に分かれた池泉回遊式庭園となっています。
 西苑 芙蓉の花を型どった「芙蓉池(ふようち)」と称される池と茶室
衣笠山を借景としていたようですが、今は立命館大学が、借景で、今ひとつ残念なところです。写真は、ぎりぎり、校舎をカットして、光で飛ばしています(^0^)
 RIMG1013202.gifRIMG1013203.gif書院のお茶席よりRIMG1013204.gif
RIMG1013206.gif
庭に降りて茶室へとRIMG1013213.gif
茶室 清漣亭(せいれんてい) RIMG1013207.gif 
RIMG1013208.gif
RIMG1013210.gif茶室より方丈を眺める 義政気分?RIMG1013209.gif
RIMG1013211.gif
東苑 心字池を回って、西に戻る。 お庭は結構広くて、備え付けの履物が、私には大きすぎて、歩くのがやっかいなのが難点でしたが、ゆったりとした時間を過ごせました。
RIMG1013212.gifRIMG1013214.gif

2008年10月10日

亀岡「夢コスモス園」

10月5日 どうも、休みになると、天気が悪いようです。
でも、雨ニモ負ケズ! 亀岡まで、コスモスの写真を撮りに行きました。
今回は、そんな人達が、他にもいました(^0^)RIMG100501.gif
RIMG100502.gif
RIMG100503.gif
案山子の人気投票も、行われていました。
♪ お魚 くわえた どら猫 ♪RIMG100504.gif
魔女の宅急便も
猫に味がありますRIMG100505.gif
RIMG100506.gifRIMG100507.gif
RIMG100508.gif
ポニョ!RIMG100509.gif
薄オレンジRIMG100510.gif
RIMG100511.gif
RIMG100512.gif  ♪ 泣いているのか、笑っているのか、
後ろ姿の すてきなあなた ♪
かなり古いCMですRIMG100513.gif
RIMG100514.gifRIMG100515.gif
RIMG100516.gif筒状の花びら「シーシェル」という品種です。RIMG100517.gifRIMG100518.gifRIMG100519.gif
RIMG100520.gifRIMG100521.gif
RIMG100522.gif  
♪ ふりむかないで 亀岡のひと ♪ 
エメロンのシャンプーCMです。
知ってる人は、そこそこの年齢です(^0^)RIMG100523.gif
RIMG100524.gifRIMG100525.gif
RIMG100526.gifRIMG100527.gif
RIMG100528.gifRIMG100529.gif
RIMG100530.gif背景が青空でないのが、残念RIMG100531.gif
RIMG100532.gifRIMG100533.gif
RIMG100534.gifRIMG100535.gif
摘まれた花束も飾りつけられていましたRIMG100536.gif
RIMG100537.gif
RIMG100538.gifRIMG100539.gif
「ディアボロ」RIMG100540.gif
コスモス園は、まだまだ、これからといったところです。
お持ち帰り用の花束をもらって、帰路に着きました。

2008年10月01日

彼岸花 その2

9月29日 雨天決行!! 
広沢池の西側の特別保存地区の田園に、彼岸花の写真を撮りに行きました。先週、ころっと忘れていたので、今日、撮りにいかなくては、次の休みでは終わってしまいます。
台風接近の為、小雨降る中を、カッパを被って、長靴持参で、出掛けました。
RIMG092901.gifRIMG092902.gifRIMG092903.gif
RIMG092904.gifRIMG092905.gif
白鷺 絵になる鳥です。RIMG092906.gif
鴨たちもRIMG092907.gif
RIMG092908.gifRIMG092909.gif
静寂が、とても心地よく、心に浸みてきます。RIMG092910.gif
RIMG092911.gif
RIMG092912.gif先週あたりは、大勢のカメラマンで、賑わっていたようですが、この雨の中、滑ったりしたら最悪になりそうなあぜ道で、写真を撮ってる物好きは、私だけです(^^)RIMG092913.gif
RIMG092914.gifRIMG092915.gif
コスモスも、しとど濡れて佇んでいます。RIMG092916.gif
RIMG092917.gifちょっと、うら悲しい感じがいいかも?RIMG092918.gif
RIMG092919.gifRIMG092920.gif
RIMG092921.gifRIMG092922.gif
今時の案山子RIMG092923.gif
RIMG092924.gifランチタイム中RIMG092925.gif
私との距離を正確に保ちながら、移動してゆきます。RIMG092926.gif
RIMG092927.gifやっぱり、デジタルの一眼レフと望遠レンズ、買いたくなりますねぇ。
RIMG092928.gif
案山子さんに見送られて、のどかな景色とお別れです。RIMG092929.gif

2008年08月01日

まだまだ 蓮

7月28日 お休みでゆっくり寝ていたい気持ちと戦いながら、なんとか早起きして、法金剛院へ、出かけました。
お目当ては、しつこくも蓮の花です。RIMG8101.gifRIMG8102.gifRIMG8103.gifRIMG8104.gifRIMG8105.gifRIMG8106.gifRIMG8107.gifRIMG8108.gifRIMG8109.gifRIMG8110.gif
蓮の花の咲く頃になると、葉っぱもかなり大きくなって密集してしまい、蓮池の水面もどこへやらといった感じで、これでは、地獄も覗けそうにありません。RIMG8140.gif
RIMG8111.gifRIMG8112.gifRIMG8113.gifRIMG8114.gifRIMG8115.gifRIMG8116.gifRIMG8117.gifRIMG8118.gif
おまけの桔梗ですRIMG8119.gifRIMG8120.gif
清浄な気分に浸っているところを邪魔するのは、やたらうるさい蝉の声です。
ならば被写体にしてやろうと探せども、コンデジの守備範囲には留まっていません。
結局見つけたのは、こちらの抜け殻でした。RIMG8121.gif
天龍寺 放生池
花びらの黒い線は、よく見るとトンボでした。RIMG8123.gifRIMG8124.gifRIMG8125.gifRIMG8126.gifRIMG8127.gif
えろう暑おすなぁ~。ちょっと日陰に入りまひょか?RIMG8128.gifRIMG8129.gifRIMG8130.gifRIMG8131.gifRIMG8132.gifRIMG8133.gifRIMG8134.gifRIMG8135.gifRIMG8136.gifRIMG8137.gif

2008年04月15日

桜 続編

法金剛院RIMG4141.gifRIMG4142.gifRIMG4143.gif妙心寺 境内RIMG4148.gif
RIMG4144.gif退蔵院RIMG4145.gifRIMG4147.gifRIMG4146.gif
裁判所 外回りRIMG4149.gifRIMG41410.gif
RIMG41411.gif御所RIMG41412.gifRIMG41413.gifRIMG41414.gifRIMG41415.gif螺旋洞桜 すでに、散ってました。RIMG41416.gifRIMG41417.gifRIMG414118.gif
山吹が、咲き始めています。RIMG0033.gifRIMG41419.gif4月14日