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2010年10月31日

平城宮跡 朱雀門 と 鹿

東院庭園広場を後にして、西へと歩きます。第1次大極殿の真南に位置する朱雀門が見えてきます。690.jpg
平城宮の正門ですね。689.jpg
さらに西に平城京歴史館があり、遣唐使船の復元展示がされているのですが、ここは有料で前もってチケットを買う必要があったようで、すでに、受付終了となっていました。688.jpg
バスに乗って来てエントランス広場に着いていれば気づいたのでしょうが、後の祭りです。687.jpg
だいぶ、足にきた感じですが、奈良まで来たからには、鹿の顔を見なくてはと奈良公園へ。686.jpg
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見返り美鹿?682.jpg
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せっかくなので、興福寺に足をのばしました。680.jpg
国宝館を見学。阿修羅像が大人気ですが、個人的には帝釈天立像のお顔が好きです。

阿修羅と帝釈天とは戦争をして、阿修羅が常に負けるそうで、この戦いの場を修羅場(しゅらば)と呼ぶのだそうですね。

これにて、平城京見学を終了し、平安の都へと帰りました。


2010年10月29日

平城宮跡 天平茶会

この企画は、奈良時代に遣唐使が持ち帰ったお茶の味の再現を試みたプロジェクトで、今回のイベント開催中のみの限定茶会だそうです。696.jpg
唐の詩人・陸羽(りくう)によってまとめられた、お茶の聖典とも呼ばれる「茶経」に基づき、現代の技術を取り入れ、今風にアレンジした「天平茶」だという話です。695.jpg
煎茶道 美風(びふう)流4代目家元、中谷美風さんが、この茶を作った過程を解説されていました。694.jpg
菓子とお茶が順番に運ばれてきます。693.jpg
菓子は、蘇(そ)と柿寿賀(かきすが)です。
蘇は古代の日本で作られていた乳製品の一種で、8世紀から10世紀にかけての頃、日本で最初に作られたチーズです。なかなか、美味です。
柿寿賀は、柿を干柿にし、柚子皮を芯とし堅く巻き上げたもので、奈良の銘菓です。
肝心のお茶も、天平に思いをはせながら、おいしく頂きました。煎茶だと、二煎目があるのですが、残念ながら、それは出てきませんでした。692.jpg
オリジナル天平茶 「茶経」に記された餅茶(団茶)の製法にできるだけ近いかたちに作られたそうです。左が茶葉を型に入れて固めたもの。右がそれを炙ったものです。香ばしい香りがします。691.jpg
この炙ったものを、茶研で粉にし、ふるいを通して、お湯に入れ煮立たせ、その上澄みをいただきます。家元の説明に合わせ、テーブル上で、その所作を見せています。
御家元の熱心な説明と、にこやかな顔を眺めているうち、歩き回った疲れが癒され、これだけで、ここにやってきた値打ちがあったような感じがしました。

このお家元、後でネットで調べたところ、文人趣味「臥遊」という水墨画などの教室を、三軒ほど先の茶道具屋さんで、月1で開催されていました。びっくり!

2010年10月27日

平城宮跡 東院庭園

平城宮東南に位置する東院庭園広場では、天平茶会が催されていました。697.jpg
時間毎に茶券が前売りされていたので、庭園を見た後にお茶にしようとチケットを求め、まず東院に入りました。庭園跡は、発掘調査の成果に基づき、復元展示されていました。702.jpg
曲水の宴などが催された場所だそうです。
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隅楼の後ろにボウリング場跡地に残るピンが、ちらっと写ってしまいました(^^)

2010年10月25日

平城宮跡 遺構展示館

大極殿を後にして、東へ進むと内裏・第二次大極殿・第二次朝堂院・朝集殿院跡の広~い敷地が続きます。全部再建したら、壮観な事でしょうに・・・。
そのさらに東、宮内省跡は再建されていました。709.jpg
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北東の角には遺構展示館がありました。
遺構が露出展示されています。707.jpg
第二次大極殿の屋根の部分が奈良時代の出土した瓦を使って復元されています。706.jpg
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鬼瓦705.jpg
展示館を出て、南に下がります。第一次大極殿がススキの向こうに見えます。704.jpg

2010年10月24日

泉涌寺 観月とハープの調べ

平城宮跡の途中ですが、昨夜10月23日 JR東海企画の「泉涌寺 観月とハープの調べ」に、出掛けた写真を一枚、挿みます。
「そうだ 京都、行こう。」のカード会員向けのイベントですが、今回はホームページから招待状を印刷して持ってゆけば、会員で無くても入る事が出来るという事で、楽しみにしていました。
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泉涌寺へ向かう途中、月は何処へ隠れているのというぐらい、雲に覆われてしまっていてどうなる事かと危ぶまれましたが、ようよう朧月夜になり、イベント終了頃には、随分すっきり見え出してきて何よりの月見となりました。続きは、また後日。

2010年10月22日

平城宮 大極殿

資料館を後にして、行き倒れにならないよう、南門広場でエネルギーを補給し、第一次大極殿へ向かいました(^^)717.jpg
手前に写っているのは、天平衣装貸出所で衣装を借りた一般の方です。簡単に着る事ができるように作られた衣装です。
室内中央には、天皇の玉座である高御座が再現されていました。716.jpg
天井や壁は、上村淳之氏によって花模様や雲、四神などが描かれていました。
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黄金の鴟尾(しび)   屋根の一番上(大棟)の両端についているものですが、平城宮では出土していないそうです。溶かされて再利用されたのではないかという話です。715.jpg
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正面712.jpg
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2010年10月20日

平城宮跡

平城遷都1300年祭も、11月7日に会期終了となるので、やっと出掛けてきました。近鉄西大寺駅からシャトルバスに乗ろうと考えていたのですが、バス待ち行列が長いようなので、徒歩で向かいました。誘導されるまま歩いて到着したのは、佐伯門でした。726.jpg
バスだと、朱雀門横のエントランス広場に着くので、にぎやかな感じなのですが、こちらは静かです。725.jpg
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会場の左端ですね。平城宮跡資料館から、見学を始めました。724.jpg
東西177m・南北197メートルの大極殿院は回廊に囲まれ、その中の北側に重要な儀式を執り行う大極殿があります。模型が展示されていました。ガイドの方の説明など聞きながら進みます。
役所のデスクです。こじゃれたデザインですね。723.jpg
寝室722.jpg
書斎721.jpg
居間720.jpg
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位の高い人々の食卓です。
               ―次回に続く―

2010年10月18日

植物園 続編

10月11日 植物園散歩の続編です。
ショウキラン741.jpg
亀は、なかなか愛嬌があって?好きな被写体です。740.jpg
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柿の葉737.jpg
ケイトウ735.jpg
こちらは、ボクシング中?736.jpg
センニチコウ734.jpg733.jpg
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トウガラシ「ブラックパール」731.jpg

2010年10月16日

植物園のコスモスとプチ事件

10月11日
好天に恵まれたので、久しぶりに植物園で、ぼーとしました(^^)
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広場で早すぎるランチをしていた時の事です。
少し離れたところに、荷物を置いて場所取りしたまま誰もいないシートがありました。
コンビニ袋もオープンなままで、そんなにほったらかしで大丈夫かしらんと気がかりで、ぼんやりと眺めていたところ、カラスがスキップしてやってきました。
えっ!と思った瞬間、コンビニ袋から、パンを引きずり出し、袋のままグワッシとくわえて飛び去りました。
頼まれもしないのに見張っていたつもりが、なんの役にも立っていませんでした(^^)
しばらくして、二人の小さな子供を連れた夫婦が戻ってきて、ランチタイムとなったのですが、パンが一つ無くなっている事に気付かないらしく、いたってなごやかなのです。
なんで、気付かへんのよ~と、やきもき見守っているのは私だけで、最後まで平和な家族でした。
ありえへんし~それ~とか思いながら、目撃証言をやめにして、その場を離れる事にしました。

2010年10月14日

妙蓮寺の花々

10月11日の妙蓮寺です。
御会式桜が、開花していました。755.jpg
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曼珠沙華は、終盤の様子751.jpg
あたりには、金木犀の香りが漂い、752.jpg
芙蓉もまだまだ楽しめます。750.jpg

2010年10月13日

我が家の芙蓉

我が家の芙蓉がようやく開花しました。
8月中、蕾も出てこなくて、どうしたことかと危ぶんでいましたが、やっと一輪目が開きました。これからしばらく楽しめそうです。758.jpg

花 イラスト シリーズ ~10月 菊 ~

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2010年10月11日

土佐稲荷・岬神社

木屋町通蛸薬師の元 立誠小学校(りっせいしょうがっこう)の北側を、河原町へと抜ける途中に、土佐稲荷・岬神社があります。765.jpg
室町時代初期の貞和4年(1348)に、鴨川西寄りの中洲の岬に祠を建て祀られたのが始まりだそうです。764.jpg

その後、江戸初期に土佐藩京屋敷内に遷座され、通称「土佐稲荷・岬神社」とよばれるようになりました。763.jpg

土佐藩の人々をはじめ、坂本龍馬や中岡慎太郎などもこの神社を崇め、近隣の人々からも尊崇されたので、町衆にも屋敷内の通り抜け参拝が許されていました。761.jpg
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土佐藩邸が売却されるとき、下大阪町に移されましたが、 その後、備前島町の近江屋井口新助が元土佐藩用人邸を買い取り、明治20年(1887)にこの地に遷座されたということです。
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こちらの龍馬像のかけらを持っていると、願いが叶うとか恋の想いが叶うとして、像を欠いて持っていく人が多かったようで、ぼろぼろになってしまっていましたが、新しくなってからはご無事のようで何よりです。

見張り番?760.jpg

2010年10月09日

宗忠神社

左京区吉田下大路町に宗忠神社(むねただじんじゃ)があります。774.jpg
陽成天皇神楽岡東陵のすぐ近くです。773.jpg
主祭神は、黒住教の教祖・黒住宗忠です。772.jpg
北社祭神は天照大神、768.jpg
南社祭神は黒住宗忠です。

黒住宗忠という人は現代の岡山県、備前国の禰宜の家に三男として生まれました。
親孝行で有名であったそうですが、両親を流行病で相次いで亡くし、ショックから自身も肺病になりました。
死を覚悟する中、自身の病の根源が陰の気から起こった事を思い、正装をして、冬至の朝の太陽の光を浴びます。
そこで天照太神と同魂同体となるという「天命直授(てんめいじきじゅ)」と呼ばれる霊的な体験をします。
天命を悟った宗忠は、病も癒え、宗教活動に励むことになったということです。
黒住教は、幕末の新興民衆宗教で、天理教・金光教と共に幕末三大新宗教の一つに数えられています。
皇室や公家からも厚い崇敬を受けたということで、慶応元年(1865)には孝明天皇の勅願所となりました。771.jpg
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2010年10月07日

陽成天皇陵

左京区浄土寺真如町に、陽成天皇 神楽岡東陵があります。真如堂から宗忠神社へ向かう途中です。775.jpg
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第56代清和天皇の第一皇子で、母は藤原高子です。
貞観18年(876年)27歳の清和天皇が突然譲位。
9歳で陽成天皇は帝位に就いています。
父である上皇、母高子、摂政藤原基経が協力して政務を行っていましたが、
元慶4年(880年)上皇の死後、基経が出仕しなくなり、政局が混乱したといわれています。
元慶7年宮中で天皇の乳母であった紀全子(きのまたこ)の子、源益(みなもとのすすむ)が殴殺されるという事件が起き、翌年、17歳(満15歳)で退位しています。
病気による自発的退位となっていますが、基経に退位を迫られたためとも言われています。
陽成天皇は暴君であったといわれていますが、真実は定かではありません。
その後、55歳の光孝天皇が即位しましたが、病のため、58歳で崩御。
いったん臣籍降下した定省親王(宇多天皇)が父、光孝天皇の後をうけ即位しました。
元侍従であった宇多天皇のことを、「あれはかつて私に仕えていた者ではないか」と言ったという逸話が残っています。
妃の一人、釣殿宮綏子内親王(宇多天皇の妹)にあてた歌が百人一首に入っています。

つくばねの 峰よりおつる みなの川
   恋ぞつもりて 淵となりぬる
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上皇として長生きし、天暦3年(949年)に亡くなっています。

2010年10月05日

後一条天皇陵

左京区吉田神楽岡町に、後一条天皇陵があります。第一皇女である章子内親王と共に葬られています。780.jpg
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一条天皇と道長の娘 彰子との間に生まれた敦成(あつひら)親王です。
なかなか懐妊しなかった彰子が定子所生の敦康親王を手元に引き取って養育している中、生まれた道長待望の外孫皇子でした。8歳で即位、道長が摂政となって権勢を振るいましたが、世継ぎの皇子に恵まれないまま、29歳の若さで崩御されました。
同母弟である敦良(あつなが)親王が即位、後朱雀天皇となりました。
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母である彰子が後一条院崩御の年に読んだ歌が残っています。

後一条院かくれさせ給うての年、時鳥の鳴きけるに詠ませ給うける

一こゑも 君につげなむ 時鳥 
     この五月雨は 闇にまどふと

時鳥は死出の山を越えると信じられていたそうで、死んだ息子への伝言を、ほととぎすに頼んだものです。
この五月雨の夜に、子を思う闇に惑っていると、一声だけでも、亡きわが息子に告げてほしいという内容です。

2010年10月02日

ふみの日切手

先日、郵便局の立ち寄った時に、今年の「ふみの日」の切手が目に留まり、思わず買い求めました。781.jpg
昭和54(1979)年「ふ」「み」と語呂あわせから、毎月23日がふみの日と定められました。
文月(ふみづき)のふみの日である7月23日に、「ふみの日にちなむ郵便切手」が発行されています。
百人一首を題材とした「ふみの日」の切手は、平成18(2006)年から発行されており、今年で5回目となるようです。
50円バージョンは切手内に和歌がなく作者の絵だけになっています。
上から、 光孝天皇・伊勢・前大僧正行尊(さきのだいそうじょうぎょうそん)・祐子内親王家紀伊(ゆうしないしんのうけのきい)そして、崇徳院です。
もったいなくて使えないような、使ってみたいような・・・。

そういえば、昨日のドラマで、式子内親王の「玉のをよ たえなばたえね ながらえば~」の読み札を握りしめて殺されているというのがありました。ドラマではダイイングメッセージとして使われたものでしたが、ちょっとした思いを伝える小道具に使うと洒落てますね。