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2016年06月24日

春日大社 鹿苑

春日大社境内にある鹿苑(ろくえん)では、6月いっぱいまで、今年生まれた子鹿の公開が行われています。三輪から、春日大社へと移動してみました。12-255.jpg
参道で、若い鹿が出迎えてくれました。12-254.jpg
鹿苑 会場での説明を受けながらの公開は時間が過ぎていましたが、垣根越しに見る事が出来ました。12-253.jpg
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こちらの子鹿、ヒョコヒョコこちらに歩いてきたので、真近で見る事が出来ました。カメラにはまだ慣れていないので、撮る事は出来ませんでしたが。12-249.jpg
こちらの子鹿たち、7月には公園デビューするそうです。また見に来たいですね。12-248.jpg
参道に戻り、売店で鹿せんべいを買い求めたところ、売店前に座り込みをして待機していたこの鹿が、すっくと立ち上がり、早くよこせと、シャツを引っ張ってきました。12-247.jpg
もみくちゃで、写真を撮れる状態ではありませんでした。夕方になっていたのに、今日はあまりもらえなかったのでしょうか?空腹だったようです。両手のひらを見せて、もうないからと納得してもらい、やっと放してもらえました。12-246.jpg12-245.jpg
参道で、妊娠しているであろう鹿とすれ違いました。保護されていない鹿もいるのですね~。12-244.jpg

2016年06月18日

奈良 大神神社

薪能2日目に演目に「三輪」がありました。大和の三輪の里を舞台とする能です。ちょっと、訪ねてみる事にしました。
大神(おおみわ)神社の大鳥居と三輪山12-258.jpg
大物主大神が鎮(しず)まる神の山です。
二の鳥居12-277.jpg
参道をしばらく歩くと、左手に祓戸神社があります。12-276.jpg12-273.jpg
そのお隣 夫婦岩12-275.jpg12-274.jpg
兎の描かれた絵馬が可愛いですが、よく見ると裏側の願い事の上にプライバシー保護シールが貼られているものがあります。ご時世ですね~。12-272.jpg
案内図
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そして、拝殿へ向かう階段手前、右の道を進んだ所に、能に登場する杉の木がありました。12-269.jpg
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「三輪」の物語の中で、玄賓の衣が掛かっていたという杉の神木ですが、すでに切株が残るのみです。随分大きな木だったのですね~。
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上方に、拝殿が見えてきました。12-268.jpg
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こちらにも杉の神木がありました。12-266.jpg
大物主大神の化身である白蛇が洞に棲むことから、巳の神杉と名付けられているそうです。蛇の好物の卵が供えられています。12-265.jpg
こちらがその洞12-264.jpg
奥の道を行くと三輪山登拝口や、山の辺の道へと続いているようですが、またの機会として、参道を戻ります。山の辺の道を進むと、玄賓の居た庵が元となる寺があるようです。平安初期の人物のようですね。
大直禰子神社(おおたたねこじんじゃ)12-263.jpg
二の鳥居の外にあるこちらは、三輪の大神様のご子孫の大直禰子命(若宮様)が祀られていました。12-262.jpg
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遥拝12-259.jpg
参拝の後は、三輪素麺!
山本の白龍という素麺を頂きました。12-257.jpg
素麺って、こんなに美味しかったかしらん?と感じるほど、極細で腰のある触感がのどに気持ちいいものでした。店内を見ると、さらに極細の「白髪」という素麺、確かテレビで見たような。ちょっと高いけど、一度食べてみようと買い求めました。

2016年05月06日

相楽園

久しぶりの神戸なので、少し散策してみました。神戸市の都市公園で唯一の日本庭園であるという相楽園にやってきました。12-327.jpg
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明治時代に造られ、元神戸市長 小寺謙吉氏の先代 小寺泰次郎氏の邸宅の庭園であったものが、昭和16年以降神戸市の所有となり公開されているようです。これまで何度も神戸に足を運んでいましたが、全く知りませんでした。12-325.jpg12-324.jpg12-323.jpg
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阪神大震災の際に、落っこちてきた煙突が屋外に展示されていました。屋根と2階の床を突き抜けて、一階の部屋を破壊したようです。こんな物が落ちてきたら、ひとたまりもありませんね。
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阪神大震災の時には、石膏の胸像が、頭の上に落ちて来て、大きなたんこぶを作りましたが、おかげで胸像は割れずにすみました。私の脳細胞が少しばかり破壊されたのではないかとは思いますが。なにやら、日本中、震災の爪痕だらけになりそうな気がしてきたこの頃です。熊本ではなおも余震が続いているようで、被災した方々の疲労は如何ばかりかと思わずにはいられません。12-320.jpg12-319.jpg12-318.jpg
京都でしたら、東山や比叡山を借景にとなるところですが、なんとも神戸らしい背景ですね。
茶室浣心亭12-317.jpg12-316.jpg
船屋形(重要文化財)
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江戸時代、姫路藩主が河川での遊覧に使っていた『川御座船(かわござぶね)』の屋形部分だけが陸上げされたものだそうです。
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池に落ちた人に投げるのでしょうか?京都の池では見た事がないですね。神戸らしいというか。そんなに深いのかしらん?12-313.jpg
パッと見には復興を成し遂げた感じの神戸の静かな一角でした。

2015年10月30日

沖縄旅行

久しぶりに友人達と旅行に出掛けました。12-623.jpg
沖縄です(^^)
1日目12-625.jpg
航空自衛隊 那覇基地 見学12-624.jpg
皆、ショップであれこれグッズを買い込んでご満悦。夕刻より国際通りをぷらぷらと、JAZZライブバー『寓話』にお邪魔しました。
2日目 
美ら海水族館12-622.jpg
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古宇利大橋12-619.jpg
アメリカ空軍 嘉手納基地 (道の駅 嘉手納の展望台より)12-618.jpg
米軍機の出入りが結構見えるのですね~。12-615.jpg
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格納庫に戦闘機が見えます。コンパクトデジカメなので、これが限界。12-617.jpg
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3日目 ひめゆりの塔12-613.jpg
平和祈念公園12-610.jpg12-611.jpg
先の戦争(応仁の乱ではありません)で大勢の人々が飛び込んだ崖です。12-612.jpg
首里城12-609.jpg
ドラマ「テンペスト」を思い出しますね~。12-608.jpg
12-607.jpg12-606.jpg
王陵(たまうどぅん)12-605.jpg
琉球村にて琉装着付け体験 髪も結い上げてみました。12-604.jpg12-603.jpg12-602.jpg
お獅子に遊んでもらいました。12-601.jpg
旧平田家住宅フール(豚小屋を兼ねた便所)12-600.jpg
ここ、「テンペスト」で、家畜扱いされた孫寧温が掘り込まれた場所ですよね!12-599.jpg
お茶と菓子がセットになっていて、こちらで頂きました。お茶とお菓子と言われると、すぐ抹茶と和菓子だと思ってしまうのですが、出てきたのは、ウコン茶とサーターアンダギー。1日目にも食べた揚げ菓子です。黒糖味で、美味しかったです。
4日目 12-598.jpg
ホテルから、レンタカーを返して、空港へと。長年、行きたいと思っていた沖縄、また機会があれば、本島以外の地域にも足を運びたいですね~。

2015年08月11日

海遊館と自由軒のカレー

久しぶりに遠出してみました。これまで行ったことがなかった海遊館です。12-677.jpg
12-695.jpg12-694.jpg12-693.jpg12-692.jpg
ベンチに座ってしまうと、ボーといつまでも眺め続けてしまいます。12-691.jpg12-690.jpg12-689.jpg
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クラゲが好きなので、大きな水槽に一杯ぷかぷかしているのを期待していたのですが、ちょっと残念でした。12-686.jpg
ムースのCMで可愛かったイワトビペンギン君 一匹だけ前面であっち向いてホイ!に付き合ってくれました。ワックスをプレゼントして、スタイリングしたい誘惑に駆られました。12-685.jpg
天保山マーケットプレース「なにわ食いしんぼ横丁」12-678.jpg
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ドラマ「夫婦善哉」を見てから、食べて見たかった自由軒のカレーです。12-684.jpg
こちらはハヤシライス12-683.jpg
ドラマを見てから、結構時間が経ってしまったので、期待が膨らみ過ぎた感がちょっとありました(^^)カツレツは、もう少し早く食べて見ようと思います。(「天皇の料理番」を見て、食べたくなったメニューです。)12-681.jpg12-682.jpg

2015年05月30日

大津市北小松

5月18日 琵琶湖湖西線 北小松を散策しました。
樹下神社(じゅげじんじゃ)12-922.jpg
常夜燈の後ろには灯を灯しに上る用の階段があります。12-921.jpg12-920.jpg
御神馬は戦争に使われたようで、台座のみ12-919.jpg
石の屋根が珍しい12-918.jpg
鴨玉依姫命を主祭神とする樹下神社と天満宮の二社が並んでいます。そのお隣には、金比羅宮
と大髭神社12-917.jpg
湖畔に出てきました。曇り空が撮影にはいまいちですが、歩くにはちょうどいい感じです。12-916.jpg
結構距離があるというのに、警戒心の強い鷺で、すぐ逃げられてしまいます。京都の鷺みたいに人慣れしていないのでしょうね。12-915.jpg
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浜昼顔12-913.jpg
静かな港12-912.jpg
雰囲気のあるお家12-911.jpg
徳勝寺12-910.jpg
立派な桜の木があります。咲いている時にまた訪れたいものです。12-909.jpg
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種徳禅寺12-907.jpg12-906.jpg
運試しの壷 コインを入れると良い音がしました。12-905.jpg
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地震対策が施されたJR線 南禅寺風に撮影?12-903.jpg
さて、夕飯は、駅前のファミリーれすとらん ひろせ 寿し正 です。湖畔にも関わらず、海の鮮魚満載のお店です。おまかせコース 冒頭はカニ 皆、黙々と。12-902.jpg
12-901.jpg12-900.jpg
次々に珍しい魚料理が出て来てお得感一杯で、お腹もいっぱいになりました。

2015年04月20日

2015 京の桜 番外編 吉野 その3

吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)11-010.jpg
創建された時期は不明ですが、平安時代初期にはすでにあったそうで、現在の建物が建立されたのは慶長10年(1605年)、豊臣秀頼によって造られたといわれています。11-011.jpg
水の神様を祭る神社としての「みくまり」という読み方が訛り、「みこもり」となり
いつの頃からか子授けの神様として、信仰されるようになったとか。11-009.jpg
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花矢倉展望台を過ぎると、眺めの良い開けた下り坂が現れます。11-006.jpg11-005.jpg11-004.jpg
11-003.jpg11-002.jpg
後はひたすら急な下り坂を下りて行きます。集合時間間に合うかしらんとか思いながら、辿り着いた竹林院前バス停ですが、どうも早く着き過ぎたみたいで、茶店で葛餅を頂いていると、皆さんが降りてこられました。点呼だけで、また自由にケーブル乗り場まで、歩きます。
竹林院 これは、立派な桜ですね。終わってしまっているのが残念!11-001.jpg
回遊式の庭園 千利休の作、細川幽斎の改修と云われているそうです。12-999.jpg
聖徳太子の創建と伝わる寺院で、宿坊を営まれていて、豊臣秀吉、与謝野晶子など多くの文人墨客の宿として愛されてきたそうです。12-998.jpg
参議藤原雅経の歌碑 「みよし野の 山の秋風 さ夜ふけて 古郷さむく 衣うつなり」新古今集12-997.jpg12-996.jpg
吉野大峯ケーブルは、現存する日本最古のロープウエイとして、機械遺産に認定されているそうです。12-994.jpg
帰りのケーブルがやってきました。もう足がくたくたです。12-993.jpg
近鉄の時間までに、スタートする時から気になっていた山栗と桜のソフトクリームを食べて、吉野ツアー完了です。ほぼ食べ続けな感じでしたが…。次回は、シーズンオフに西行庵まで行ってみたいものですね~。

2015年04月18日

2015 京の桜 番外編 吉野 その2

4月13日 吉水神社を出て、坂を戻り、メインストリートの坂をまた上り、集合場所の勝手神社にやってきました。11-023.jpg
社殿がない!11-022.jpg
2001(平成13)年に不審火により焼失してしまったそうです。
大友皇子に対抗して吉野に兵を挙げた大海皇子(天武天皇)が境内で琴を奏でていたところ、社殿後ろにある袖振山から天女が袖をひるがえして舞い、吉兆を示したという話や、義経と別れた静御前が、追手に捕らえられ、請われて舞いを舞ったという話が残っている場所です。
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小雨もちょっと収まったので、こちらでツアーに付いていたお弁当を頂く事にしました。柿の葉寿司と巻きずしに、途中で買い求めた八咫という地酒を頂きました。時間もあるので、坂を戻り、お店屋さんを覗きます。
藤井利三郎薬房の商標となっている三足蛙が目を引きます。11-024.jpg
また別のお店では、アマゴの塩焼きが食べられるそう。11-021.jpg
お弁当を食べたところですが、頂きます。11-020.jpg
でもって、温泉旅館のロビーで、葛きりとお茶。お茶碗が自宅の桜茶碗と同じでびっくり!
500円で、葛きりと昆布茶が頂けるのも、京都感覚では、安いですね。集合場所に戻り、皆で、ケーブルバス乗り場の竹林院前まで、坂を上ります。
喜蔵院 金峯山寺の塔頭で、江戸時代に儒学者の熊沢蕃山が隠居した寺です。11-019.jpg
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ケーブルバスは、山間をぐにゃぐにゃと結構上って行くので、帰り道は違う道とはいえ、下りは徒歩なので、ちょっと不安になります。まぁ、参加者はほとんどわたしより高齢のようなので、大丈夫かとは思いますが…。11-017.jpg
奥千本口に着きました。ここから自由に、先のケーブルバス乗り場の竹林院前まで戻るという事です。金峯神社への道は、鳥居はあれども、社殿の見えない急な上り坂、反対方向は下りの山道、さてどうする?神社はパスで、下りでしょうと思いきや、年配の方々は神社に向かわれます。えぇ~とか思いながらも、神社へと。
奥千本 こちらはやや早め11-016.jpg
息が上がります。やっと到着。吉野山の地主神、金山毘古命(かなやまひこのみこと)が祭神で、修験道の行場で藤原道長も祈願したという事です。11-015.jpg
義経が弁慶らと追っ手から逃れるために隠れたという義経隠れ塔11-014.jpg
坂を下って、また登って、高城山展望台11-013.jpg
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次回に続く

2015年04月16日

2015 京の桜 番外編 吉野 その1

4月13日 一度行ってみたかった吉野へ、出掛けてみました。近鉄特急で、吉野到着です。11-039.jpg11-038.jpg
何時降り出すかわからないようなお天気なので、レインコートに傘持参で、ツアーの出発を待ちます。現地集合のケーブル会社主催のツアーです。この時期は、ケーブルやケーブルバスに乗るのも待ち時間が長くて大変という情報だったので、優先的に乗れるというこちらのツアーにしてみました。昨日はお天気の日曜という事で、大変な混雑だったようですが、今日は雨模様の月曜とあって、かなり少ない人出のようです。11-037.jpg
ロープウェイで、下千本といわれる一帯を上ってゆきます。ツアーメンバーだけで、ケーブルが一杯です。なるほど、1台のケーブルに乗れる人数がツアーの定員だったのですね。今年はこちらの桜も駆け足だったようで、遠目には、すでに桜が見当たりません。
黒門 金峯山寺(きんぷせんじ)の総門で、昔は公家大名といえども槍を伏せ、馬をおりて歩いたという話です。11-036.jpg
上り坂を歩いて、銅鳥居(かねのとりい)にやってきました。聖地への入口です。11-035.jpg
修験道の総本山 金峯山寺の仁王門が見えてきました。11-034.jpg
ここから、しばし自由行動とお弁当タイム。さすがに山寺、突風が吹いてきて帽子が吹き飛ばされそうでした。
修復中のため、ネット越し11-033.jpg
蔵王堂 大きいですね。東大寺大仏殿に次ぐ規模の木造建築だそうです。拝観券は家内安全・諸願成就のお札と寺名入りの靴袋付きです。11-032.jpg
国宝仁王門平成大修理勧進・蔵王堂秘仏ご本尊特別ご開帳ということで、真近で蔵王権現を拝む事が出来ました。なかなかの迫力でした。12-992.jpg

吉水神社11-031.jpg
こちらは、吉水院という役行者が創建した修修験宗の僧坊でしたが、南朝の後醍醐天皇の皇居であったことから、神仏分離の際に神社に改められたそうです。桜はというと、こんなところ…。一目千本と謳われる通り、中千本・上千本の山桜を一望できる場所なそうな。ちょっと遅かった感。12-991.jpg
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義経と静御前、弁慶らが、隠れ住んでいたところでもあり、ゆかりの品々が飾られていました。また秀吉が吉野の花見の本陣としたことから、豪華な寄贈物も飾られていましたが、開け放たれた室内は、風通しも良く、屏風類の損傷が激しいようです。11-028.jpg
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九字真法によって、邪気を払うというパワースポットとして、人気があるようです。11-025.jpg
後醍醐天皇は、いつの日か京都に凱旋すると信じて、この北側の門から、京を偲ばれていたようです。11-026.jpg
次回に続く

2012年05月04日

長谷寺 後篇

本堂を後に、五重塔の方へと進みます。
一切経堂6-199.jpg
本長谷寺 6-198.jpg
長谷寺の創建は天武天皇の御世、朱鳥元年(686年)、僧侶の道明が初瀬山の西の丘に、三重塔を建立したのが始まりとされていて、それがこちらの場所だそうです。続いて神亀4年(727年)、僧侶の徳道が東の丘(現在の本堂の地)に本尊十一面観音像を祀って開山したという事です。
五重塔6-197.jpg
シャクナゲも残っていました。6-196.jpg
線の入った花が咲いていなかったのは残念でしたが、この薄紫の牡丹は好きな色です。6-195.jpg6-194.jpg6-193.jpg
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本坊 本尊の十一面観世音菩薩の御影を大きな画軸に写したものを観る事が出来ました。
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本堂が上の方に見えます。6-185.jpg6-184.jpg6-182.jpg
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亀に見送られて、寺を後にします。6-176.jpg6-175.jpg
歩き疲れて参道を戻るうち、やっぱり休憩6-173.jpg
また同じ長谷路におじゃまして、お茶を頂きました。6-174.jpg
参道で売られていた牡丹が気になったものの、雲行きもあやしく、重そうでもあったので、断念しましたが、やっぱり一鉢ぐらい欲しいような・・・。

2012年05月03日

長谷寺 前篇

風さそふ 花のゆくへは 知らねども
            惜しむ心は 身にとまりけり

                            西行 
 
桜の季節があっという間に風に吹き散らされ、取り残された感じのこの頃ではありますが、桜の次あたりに好きなのが牡丹なものですから、惜しむ心が、はやる心に急かされて、長谷寺へ行ってきました。6-223.jpg
4月30日 曇り空で、夕刻には雨がちらつきそうではありましたが、葉っぱ柄の小紋の着物に牡丹の帯を締めてみました。6-222.jpg
参道にたどり着いたのは、お昼前でしたので、取り敢えず腹ごしらえ。有形文化財に指定されているというお食事・お茶処の長谷路さんにおじゃましました。6-221.jpg
お蕎麦と柿の葉寿司を食べて、取り急ぎお寺へ。6-220.jpg
門前から牡丹のお出迎え6-219.jpg6-218.jpg
仁王門6-217.jpg
境内図 パンフレットより6-200.jpg
登廊 両サイドを牡丹に囲まれています。
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右手の宗宝蔵にて、宝物拝見。6-215.jpg

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見上げると、御衣黄桜が咲いていました。6-213.jpg

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まだまだ蕾も多いです。6-211.jpg6-210.jpg
新緑が目にすがすがしいです。6-209.jpg
紀貫之故里の梅6-208.jpg6-207.jpg
並んで一茶の句碑もありました。6-206.jpg6-205.jpg
階段を、牡丹を眺めながらふらふら上り続けて、本堂へ到着6-204.jpg
ミニ清水の舞台といった感じですね。6-203.jpg
ご本尊は、十m余りある十一面観世音菩薩です。足元に入ってみて、その大きさにびっくりしてしまいます。6-201.jpg
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明日につづく


2011年05月20日

江のドラマ 舞台

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浅井・江のドラマ館
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ドラマ内で使われた衣装や、写真などが展示されていました。

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小谷・江のふるさと館6-843.jpg
前方の山が小谷城跡です。そして、姉川の戦い跡も見てきました。それぞれが結構遠いです。6-842.jpg
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2011年05月12日

黒壁スクエア

長浜の続きです。
城を出た後、黒壁スクエアに向かいます。6-847.jpg
黒漆喰の伝統的建造物群からなる、観光スポットです。6-865.jpg
明治時代に第百三十銀行長浜支店として建築され、その外壁が黒漆喰の様相から『黒壁銀行』と呼ばれ、親しまれていた建物の保存と中心市街地の活性化を図るために、誕生したショップ群は、クラシックなたたずまいの中に、ガラス製品をはじめ、様々なグッズが販売されていて、楽しい一角です。6-864.jpg
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長浜城の城下町として栄えた頃はどんな街並みであったのでしょうね。

2011年05月07日

長浜城跡

長浜盆梅展のあとに続くお城や街並み観光の記事が、その直後の震災や、桜ニュースで、お蔵入りになっていたものを、ようよう引っ張り出しました。

長浜城歴史博物館6-868.jpg
秀吉が一国一城の主となった最初の拠点「長浜城」の跡に、昭和58年に再興され、歴史博物館としてよみがえったものです。大河ドラマなどでよく出てくる場所で、一度訪れたいと思いながら、延び延びになっていました。6-867.jpg
展望台 北側 中央の山が小谷城址です。6-860.jpg
東側 伊吹山とその右手前の方に石田光成出生の地 石田町があるそうです。6-859.jpg
南側 中央に霞んで見えるあたりに彦根城が位置しています。6-858.jpg
景色は随分変わってしまっているのでしょうが、ちょっと気分だけは味わえました。6-866.jpg

2011年03月08日

長浜盆梅展

3月6日 盆梅の研究と、お江がらみで、長浜までちょっぴり、遠出しました。長浜駅近くの慶雲館で1月20日から開催されていて、早く行きたいと思っていたのですが、所用が多く延び延びになっていました。306.jpg『仁寿』307.jpg
『桜切るバカ 梅切らぬバカ』といいますが、うちの盆梅は、私が管理を受け持つはめになってから、どう切っていいものか分からなくて、近頃伸び放題なので、今年こそは剪定しようと考えています。参考にしようと、出掛けてみたのです。305.jpg
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『高山』300.jpg
皆、立派な幹なのに、小さな盆の中で、よく納まっていられるものですね。栄養補給を小まめにされるのでしょうかしらん。299.jpg
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大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」の題字「江」を書いた書家・菊池錦子さんが席上揮毫を行った「生」の字が、掛けられていました。原作にある市の言葉「女の戦は生きること 本日只今を生きること」から「生」の文字を引用されたそうです。288.jpg
右から、茶々・初・江をイメージして書いた「生」だそうです。295.jpg
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『江南朱砂』292.jpg
こちらは、中国の品種だそうです。花びらの様子がちょっと見慣れない感じです。291.jpg
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『輪違い』(りんちがい)289.jpg
別名を『おもいのまま』といい、一本の木に紅花と白花が混じって咲いています。源平咲きという呼び方が、馴染みがありますが。
『茶々』『初』『江』という梅や名立たる巨木・老木が多く展示されていたのですが、期間中に、順次入れ替えが行われるため、すでに後の祭りでした。3月10日までの開催で、滑り込みで間に合ったのですから、しかたないですね。それでも、見事な盆梅をたくさん鑑賞でき、勉強になりました。

2010年10月31日

平城宮跡 朱雀門 と 鹿

東院庭園広場を後にして、西へと歩きます。第1次大極殿の真南に位置する朱雀門が見えてきます。690.jpg
平城宮の正門ですね。689.jpg
さらに西に平城京歴史館があり、遣唐使船の復元展示がされているのですが、ここは有料で前もってチケットを買う必要があったようで、すでに、受付終了となっていました。688.jpg
バスに乗って来てエントランス広場に着いていれば気づいたのでしょうが、後の祭りです。687.jpg
だいぶ、足にきた感じですが、奈良まで来たからには、鹿の顔を見なくてはと奈良公園へ。686.jpg
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見返り美鹿?682.jpg
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せっかくなので、興福寺に足をのばしました。680.jpg
国宝館を見学。阿修羅像が大人気ですが、個人的には帝釈天立像のお顔が好きです。

阿修羅と帝釈天とは戦争をして、阿修羅が常に負けるそうで、この戦いの場を修羅場(しゅらば)と呼ぶのだそうですね。

これにて、平城京見学を終了し、平安の都へと帰りました。


2010年10月29日

平城宮跡 天平茶会

この企画は、奈良時代に遣唐使が持ち帰ったお茶の味の再現を試みたプロジェクトで、今回のイベント開催中のみの限定茶会だそうです。696.jpg
唐の詩人・陸羽(りくう)によってまとめられた、お茶の聖典とも呼ばれる「茶経」に基づき、現代の技術を取り入れ、今風にアレンジした「天平茶」だという話です。695.jpg
煎茶道 美風(びふう)流4代目家元、中谷美風さんが、この茶を作った過程を解説されていました。694.jpg
菓子とお茶が順番に運ばれてきます。693.jpg
菓子は、蘇(そ)と柿寿賀(かきすが)です。
蘇は古代の日本で作られていた乳製品の一種で、8世紀から10世紀にかけての頃、日本で最初に作られたチーズです。なかなか、美味です。
柿寿賀は、柿を干柿にし、柚子皮を芯とし堅く巻き上げたもので、奈良の銘菓です。
肝心のお茶も、天平に思いをはせながら、おいしく頂きました。煎茶だと、二煎目があるのですが、残念ながら、それは出てきませんでした。692.jpg
オリジナル天平茶 「茶経」に記された餅茶(団茶)の製法にできるだけ近いかたちに作られたそうです。左が茶葉を型に入れて固めたもの。右がそれを炙ったものです。香ばしい香りがします。691.jpg
この炙ったものを、茶研で粉にし、ふるいを通して、お湯に入れ煮立たせ、その上澄みをいただきます。家元の説明に合わせ、テーブル上で、その所作を見せています。
御家元の熱心な説明と、にこやかな顔を眺めているうち、歩き回った疲れが癒され、これだけで、ここにやってきた値打ちがあったような感じがしました。

このお家元、後でネットで調べたところ、文人趣味「臥遊」という水墨画などの教室を、三軒ほど先の茶道具屋さんで、月1で開催されていました。びっくり!

2010年10月27日

平城宮跡 東院庭園

平城宮東南に位置する東院庭園広場では、天平茶会が催されていました。697.jpg
時間毎に茶券が前売りされていたので、庭園を見た後にお茶にしようとチケットを求め、まず東院に入りました。庭園跡は、発掘調査の成果に基づき、復元展示されていました。702.jpg
曲水の宴などが催された場所だそうです。
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隅楼の後ろにボウリング場跡地に残るピンが、ちらっと写ってしまいました(^^)

2010年10月25日

平城宮跡 遺構展示館

大極殿を後にして、東へ進むと内裏・第二次大極殿・第二次朝堂院・朝集殿院跡の広~い敷地が続きます。全部再建したら、壮観な事でしょうに・・・。
そのさらに東、宮内省跡は再建されていました。709.jpg
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北東の角には遺構展示館がありました。
遺構が露出展示されています。707.jpg
第二次大極殿の屋根の部分が奈良時代の出土した瓦を使って復元されています。706.jpg
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鬼瓦705.jpg
展示館を出て、南に下がります。第一次大極殿がススキの向こうに見えます。704.jpg

2010年10月22日

平城宮 大極殿

資料館を後にして、行き倒れにならないよう、南門広場でエネルギーを補給し、第一次大極殿へ向かいました(^^)717.jpg
手前に写っているのは、天平衣装貸出所で衣装を借りた一般の方です。簡単に着る事ができるように作られた衣装です。
室内中央には、天皇の玉座である高御座が再現されていました。716.jpg
天井や壁は、上村淳之氏によって花模様や雲、四神などが描かれていました。
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黄金の鴟尾(しび)   屋根の一番上(大棟)の両端についているものですが、平城宮では出土していないそうです。溶かされて再利用されたのではないかという話です。715.jpg
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2010年10月20日

平城宮跡

平城遷都1300年祭も、11月7日に会期終了となるので、やっと出掛けてきました。近鉄西大寺駅からシャトルバスに乗ろうと考えていたのですが、バス待ち行列が長いようなので、徒歩で向かいました。誘導されるまま歩いて到着したのは、佐伯門でした。726.jpg
バスだと、朱雀門横のエントランス広場に着くので、にぎやかな感じなのですが、こちらは静かです。725.jpg
画像の拡大
会場の左端ですね。平城宮跡資料館から、見学を始めました。724.jpg
東西177m・南北197メートルの大極殿院は回廊に囲まれ、その中の北側に重要な儀式を執り行う大極殿があります。模型が展示されていました。ガイドの方の説明など聞きながら進みます。
役所のデスクです。こじゃれたデザインですね。723.jpg
寝室722.jpg
書斎721.jpg
居間720.jpg
ダイニング719.jpg
位の高い人々の食卓です。
               ―次回に続く―

2010年09月18日

龍馬ハネムーンウォーク in 霧島

明日の龍馬伝は、龍馬とお龍の新婚旅行のシーンが登場しますね。

霧島では、「龍馬とお龍 新婚旅行の地をたずねる」と題して、「龍馬ハネムーンウォーク in 霧島」というウォーキングのイベントが毎年開催されています。今年も第14回大会が3月20・21日に催されたようです。825.jpg
私も第8回に、高知から、友人達とバスを借り切って参加しました。仮装をしての参加も歓迎との事だったので、お龍になりきろうと、草鞋を買い込みました。23キロのウォーキングに耐えられるように、鼻緒に綿を巻き、布を被せて縫い上げました。自分で適当に日本髪らしく結い上げ、2部式着物で高知から、夕方バスに乗り込みました。途中、船中でごろ寝一泊、早朝の霧島スタート地点近くで朝食を取り、絣の着物に着替えて、挑みました822.jpg
同行したメンバーは、大半がウォーキング仲間で、軽装の歩きなれた人達であるのに対し、私は誘われるままに、事前練習もせずについて行った素人で、着物にわらじ履きスタイルでの参加でしたから、23キロはさすがに応えました。なんとかゴールしたものの、翌日はバスの乗り降りも大変な筋肉痛になってしまったものです。824.jpg
コース中に、地元の方々のお接待所がいくつかあり、いろいろご馳走になりながら、景色を眺めて、さわやかな空気を感じながら、気分だけはお龍さんの楽しいウォーキングでした。最も終わりの方は、景色どころではなかったのですけど・・。
参加記念品の他に、新婚さんと仮装参加の人には、写真を撮ってオリジナル切手にして送付してもらえるという特典付きでしたから、そのどちらにも当てはまる私たちは、ステージにも上げてもらって、終始ご機嫌なイベントでした。イタリアに行くはずの新婚旅行をあまりの忙しさにキャンセルして向かえた新生活2か月目に、思いがけず友人に誘われて出掛けた旅行でしたから、まさに新婚旅行でした。お龍さんにとって、最も楽しい時期であったろう霧島への旅は、私にとっても最も楽しい記憶となりました。

2010年05月05日

高岡観光

5月2日、早くに高岡に着いたので、迎えに来てもらった叔父の車で、少々観光してみました。

高岡大仏p7012.jpg
奈良の大仏、鎌倉大仏に次ぎ、日本三大大仏に挙げられることもあるようです。伝統の銅器製造技術の粋を集め、30年の歳月をかけて完成いたものです。結構、男前です。
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高岡古城公園 前田利長公が築いた高岡城の城跡を公園として残したものです。p7010.jpg
本丸の跡地に射水神社があります。p7009.jpg
神社横の公園には、利長公の像が造られていました。p7008.jpgp7007.jpg
公園は3つの水濠に囲まれています。ほとんど築城時のままに残されているようです。p7003.jpg
城の設計は、キリシタン大名であり、築城の名手として有名な高山右近といわれています。大手口を入ったところに銅像が建てられていました。p7006.jpgp7005.jpg

富山湾 海王丸パークp7004.jpg
海の貴婦人と称される海王丸ですが、帆が張られていなくてちょっと残念でした。


2010年05月04日

いきなり、撮り鉄? 車椅子でJR

5月2日 サンダーバードに乗って、所用で富山県高岡市まで行ってきました。p7018.jpg
一ヶ月前の10時から1~2時間、JRに電話をかけ続け、やっとゲットしたのが、サンダーバード1号 京都発7時38分でした。そんなに早い時間帯じゃなくてよかったのですが、なにせ、ゴールデンウイークですから、しかたないのでしょう。p7017.jpg
昨年より、車椅子状態となった高齢の父との二人旅です。駅での乗車介助を前日に予約しておきました。日頃、たいした事のないように感じていた乗車口の段差ですが、車椅子となると、やはり結構な段差です。p7016.jpg
やっと繋がった予約の電話口で、車椅子の身障者と介助者の二人ということで、車椅子対応トイレが近い事を条件に、座席を予約したのですが、希望の時間帯の電車の席はすでになく、7時の電車なら身障者席はすでに取れないが、同じ車両の反対側の1番座席なら、座席の後ろに車椅子をたたんで入れておけるから、大丈夫との事でなんとか取れた座席でした。
板を渡してもらって、乗り込んだまではよかったのですが、通路のドアのところで、先に進めない事に気が付きました!p7015.jpg
座席間が車椅子の幅より少しばかり、狭かったのです。取り合えず、バックして、自分が先に入り、父を立たせて抱え込み、3、4歩歩いてもらい席に座る事ができました。車椅子を座席の後ろに仕舞いこみ、これで、OKと安心したのもつかの間、大きな問題点に気が付きました。
身障者用トイレは反対側にしかなく、通路は車椅子の通る幅がなく、今入ってきたドアの向こうには、普通のトイレすらないのです。結果、3時間の乗車時間中、あまり水分を取らないようにして、我慢するという選択肢を取りました。
車椅子対応トイレp7014.jpgp7013.jpg
帰路は、親戚の車に乗せてもらう予定にしていたので、その車に積めるサイズの小ぶりの車椅子をレンタルして行ったのですが、電車の通路の事を考えに入れていませんでした。自分で運転するためのハンドルを取り外しておけば、なんとか、通れたのかもしれません。
帰ってからネットで調べたのですが、新幹線などの一部の車両には、通路に合わせた車椅子の備えがあるようですが、サンダーバードにはありませんでした。
同じ車両に乗り合わせた障害者の方は、電車旅行慣れしてらっしゃるようで、慣れれば大丈夫とおっしゃっていました。確かに、慣れさえすればトラブルも減るのでしょうね・・・。

2009年05月03日

當麻寺の牡丹と中将姫 その2

P9497.jpgP9496.jpg中将姫伝説
聖武天皇の頃、藤原豊成と妻 紫の典侍の間では、なかなか子宝に恵まれず、長谷寺の観音に参篭して祈願をこめ、ようやく生まれたのが中将姫であった。不幸なことに、姫が5才の時、その母が亡くなり、父豊成は橘諸房という人の娘である照日前を後妻として迎えた。継母の照日前は、次第に姫を憎むようになり、ついには殺そうと計画する。家臣の働きにより、姫は死んだと偽り、山中に住まううち、父と再会し、屋敷に戻るも、仏門に入る事を決心して、当麻寺へ向かう事になる。17歳の時、実雅法師によって髪をおろして出家して「中将法如」となり、修行に励む事となる。ある時、霊感を得て百駄の蓮華の茎から繊維をとって一夜にして曼陀羅を織りあげ、その後29歳の若さで、浄土に帰った。という話が伝わっています。
P9495.jpgP9494.jpg中将姫の像P9490.jpg
P9493.jpgP9491.jpg西塔P9506.jpgP9492.jpg近頃では、中将姫も発展家になられたようで、草食系男子?のせんと君をデートに誘った模様ですね(^^)
5月14日に営まれる法要「練供養会式(ねりくようえしき)」に、せんと君をお招きするそうです。

2009年05月02日

當麻寺の牡丹と中将姫 その1

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612年、麻呂子(まろこ)親王が御兄 聖徳太子の教えによって、万法蔵院(まんぽうぞういん)を建立。後に、親王の孫になり「當麻氏」と称したことにより、當麻寺と寺号を改めたというのが、この寺の起こりです。本堂には、中将姫が織り上げた綴織 當麻曼荼羅を文亀年間(1501~3)に転写した文亀本當麻曼陀羅が安置されています。金堂には、創建当初の本尊である弥勒仏坐像が安置されています。 その弥勒仏を囲むように、四天王立像が邪鬼の上に立っています。頬から顎にかけて髭をはやした彫りの深いお顔立ちで、なかなかイケ面です。
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中之坊本堂には、中将姫の守り本尊である「導き観音」がご本尊として祀られています。このお堂で中将姫は髪を剃り落とし「法如」という名を授かり尼僧となっています。
当時、當麻寺は女人禁制で、入寺を許されなかったが、姫が一心に念仏を唱えたところ、そのお経の功徳で、足跡がついたという中将姫誓いの石です。P9505.jpgP9502.jpg
東塔P9503.jpgP9501.jpg
こちらの牡丹は傘付き、添え木付きで、傘は絵になりますが、添え木がにょっきりと花の横に飛び出しているのは、ちょっと困りものです(^^)P9500.jpgP9499.jpgP9498.jpg

2009年05月01日

石光寺の牡丹 その3

石光寺の牡丹の最終回です。P9524.jpg
P9523.jpgP9522.jpgP9520.jpg蝶が飛び回っていたので、一緒に撮りたかったのですが、ひらひら動き回って、全くじっとしてくれませんでした。
花が多すぎて目移りしてしまうのか、警戒心が強くてカメラの前では、止まろうとしないのか、さっぱりでした。P9519.jpgP9518.jpgP9517.jpgP9516.jpg石楠花も少し咲いていました。P9515.jpgP9514.jpgP9513.jpgP9512.jpgP9511.jpgP9510.jpgP9509.jpg
せっかく遠方までやってきたのですから、當麻寺に寄っていこうと、田舎道を歩いていると、中将姫の墓塔の案内板を見つけました。それは小道を少し入ったところにありました。P9508.jpg
今も大切にお守りされている様子でした。

2009年04月29日

石光寺の牡丹 その2

4月20日 石光寺の牡丹の続きです。P9547.jpg
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ここ、石光寺は中将姫ゆかりのお寺でもあります。P9542.jpg
まだ、都が平城京にあった頃、右大臣藤原豊成の娘、中将姫は美貌で知られていたが、17歳で出家、当麻寺で仏道修行に励むうち、霊感を得て蓮の茎を集め、糸を採り、石光寺の庭に井戸を掘り、糸を浸したところ五色に染まったということです。それがこの「染の井」です。その糸を傍らの桜の枝にかけたのが「糸掛け桜」で、井戸の横のガラスケースに収められていました。中将姫はその蓮糸で一夜のうちに当麻曼茶羅を織りあげたという伝説があります。この為、石光寺は別名「染寺(そめでら)」とも呼ばれています。P9541.jpgP9540.jpg
P9539.jpgカーネーションっぽいのもあります。P9538.jpgP9537.jpg
中将姫の物語は、子供の頃に絵本で読み、木々に掛けられた五色の糸の美しさが強く印象に残っていました。当時、曼荼羅というものが理解できず、また中将姫の名前も忘れてしまい、ただ、姫が木に糸を掛けた絵のページだけが記憶の中にあり、何の物語だったのだろうと、大きくなってからあれこれ調べるうち、それが中将姫の物語であったと知りましたが、この寺にまではたどり着いていませんでした。今回、牡丹の寺を検索して初めて、石光寺こそがその寺である事を知り、あの記憶のページを見てみたいという想いで出掛けました。P9536.jpgP9535.jpg残念ながら、蓮糸は掛かってはいませんでしたが(^^)、少し想像して楽しむ事ができました。P9534.jpgP9533.jpg
P9532.jpgP9531.jpg
そして、牡丹の写真はまだ続きます(^^)

2009年04月28日

石光寺の牡丹 その1

4月20日 2700株 400種の牡丹があるという奈良県葛城市の石光寺に出掛けてみました。近鉄 二上神社口駅から徒歩13分です。
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 天智天皇の時、光を放つ三大石があるので掘ったところ、弥勒三尊の石像が出てきた。そこで勅願により、役小角(えんのおづぬ)が堂宇を建立、石光寺と称したのがこちらの起こりだそうです。
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P9563.jpgP9562.jpgP9561.jpg
陽気の加減で、牡丹は早や見頃を向かえていました。P9560.jpgP9557.jpg
鬼瓦の横には牡丹をかたどった瓦がありました。P9559.jpg
P9556.jpgP9555.jpgP9554.jpg
P9553.jpgP9552.jpg花の盛りの割りには比較的、人も少なかったので、存分に牡丹を満喫できました。P9551.jpgP9550.jpgP9549.jpgP9548.jpg昼頃になると、花崩れしやすいという事で早朝に起きて、ここまでやってきた甲斐がありました。よって、明日も牡丹が続きます(^^)

2009年02月06日

浅草寺

2月2日 浅草寺に立ち寄りました。RIMG0.gif
雷門RIMG020201.gif
提灯の真下の彫り物RIMG020202.gif
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天龍像RIMG020204.gif
金龍像RIMG020205.gif
中見世RIMG020203.gif
小腹がすいたので、人形焼の食べ歩きをしてしまいました。にぎやかで、ちょっと京都とは違う空気です。いろんな言語が飛び交っていました。
横の通りRIMG020208.gif
宝蔵門RIMG.gif
大わらじRIMG020210.gif
五重塔RIMG020211.gif
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お水舎RIMG020213.gif
本堂RIMG020215.gifRIMG020216.gif
天井絵 川端龍子作「龍之図」RIMG020218.gif
堂本印象作「天人之図」RIMG020217.gif
本堂を出て、周囲を見渡します。RIMG020214.gifRIMG020220.gifRIMG020221.gif
RIMG020222.gif帰り道 花やしきが見えました。RIMG020223.gif
RIMG020219.gifつくばエクスプレスに向かいます。

2009年02月03日

豪徳寺

2月1日 用事があって、久しぶりに江戸へ行ってきました。
少しばかり観光もしました。
世田谷にある豪徳寺は、招き猫伝説の寺として、有名です。RIMG020101.gif
彦根藩主 井伊直孝が鷹狩りの帰り、猫によって門内に招き入れられ、雷雨を避けて和尚の法談を聞き、是れ偏に仏の因果ならんと、井伊家の菩提所としたというお話です。
それゆえ、ひこにゃんのモデルの猫でもあるようです。RIMG020102.gif
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臥竜桜と仏殿RIMG020107.gif
まだ新しい三重塔RIMG020104.gif
延宝七年完成のこの梵鐘は、細身で均整のとれた優美な姿をしていて、区内に伝わる現存最古だそうです。RIMG020106.gif
RIMG020108.gif本堂RIMG020121.gif紅梅が、咲き誇っていました。
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RIMG020111.gifRIMG020112.gif
井伊家の菩提所として整備されただけあって、結構広いお寺です。RIMG020113.gifこちらで、いろんなサイズの素朴な招福猫児(まねきねこ)を求めることができます。
RIMG020114.gifミニサイズ300円なりRIMG020122.gif
RIMG020115.gif招猫観音堂 横に、たくさんの招き猫が、奉納されています。
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井伊家の墓の横には紅白の梅が咲いていました。RIMG020120.gif