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2009年08月27日

文徳天皇

天安2年8月27日(858年10月7日)、第55代文徳天皇が亡くなっています。

承和の変で皇太子恒貞親王が廃された後、伯父である藤原良房に推されて立太子し、嘉祥3年(850年)、仁明天皇の崩御に伴い即位された方です。

文徳天皇が東宮だった頃に嫁いでいた良房の娘 染殿后明子(あきらけいこ)にはなかなか子ができず、四条の地蔵菩薩が子宝にご利益があると聞き、早速地蔵堂に参り17日の願をかけたところ、満願の日に懐妊の兆候があり、男の子を出産しました。それがちょうど文徳天皇即位の年で、第四皇子惟仁(これひと)親王、後の清和天皇となり、藤原家の地位を安定させる事となりました。
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染殿院は空海(弘法大師)の開山で、十応心論を清書調巻されたことから十住心院とも称されていて、その他に 釈迦院、釈迦堂とも呼ばれていましたが、この願掛けによって、堂は*「染殿院」と称されるようになりました。庶民の間では「そめどのさん」と通称されるようになりました。

*良房の邸宅を「染殿」といい、娘の明子(あきらけいこ)は「染殿皇后」と呼ばれた事に因っています。
 

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