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2009年09月16日

東三条院(藤原 詮子)

第64代 円融天皇の女御であり、第66代一条天皇の生母である藤原 詮子(ふじわら の せんし/あきこ)は、寛和2年(986年)に一条天皇が即位すると皇太后となっていましたが、正暦2年(991年)円融法皇の崩御の後、同年9月16日に出家し、皇太后宮職を停めて院号宣下を受けました。
居宅の東三条邸に因んで東三条院と呼ばれました。
摂政関白・太政大臣藤原兼家の次女で、道隆・道兼・道長、冷泉天皇女御超子と同母の兄弟です。

中京区押小路通釜座西北角にその東三条殿の跡を示す石碑が建っています。
藤原良房が創設し、摂関家嫡流に伝領されました。
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寛弘2年(1005年)の内裏焼亡により一条天皇の里内裏として用いられ、以降も後院や里内裏として用いられました。

詮子は、4才下の弟・道長を可愛がり、道長と甥・伊周が関白を争った際に、渋る一条天皇を説得(夜中に天皇の寝所に押しかけて)して、道長の政権樹立に大きく貢献しました。その後、道長は長女彰子を一条天皇の女御として入内させ、その地位を確かなものとしてゆきました。
紫式部・和泉式部などの女流文学者を生み出した、華やかな時代の幕開けでした。

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