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2009年10月21日

池大雅

玉瀾の夫 池大雅は、享保8年(1723年)に京都で生まれ、はじめ二条樋ノ口(二条木屋町)に住んでいましたが、後に聖護院や、知恩院西の袋町に移り、結婚して、真葛ヶ原に定住しています。
与謝蕪村とともに、日本の文人画(南画)の大成者とされています。

ある日の事、絵の仕事で難波に出立した大雅は、かんじんの筆を家に置き忘れ、気づいた玉瀾が、追いかけて行き、建仁寺の脇で、夫に追いつきました。「筆をお忘れです。」と差し出した妻に、大雅は「どちらのかたですか。よく拾ってくださいました。」と鄭重に礼を言って、足早に立ち去ったそうです。絵のことしか頭にない夫に苦笑しながら、そのまま見送ったという、愉快なエピソードが残っています。

悠々自適の晩年を過ごし、53歳で没しています。遺言により、上京区千本寺之内東入るの浄光寺にお葬られました。p8243.jpgp8244.jpgp8242.jpgp8241.jpg
その8年後、玉瀾も亡くなりましたが、なぜか、夫と一緒の墓ではなく、黒谷さんに埋葬されています。

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