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2009年11月19日

吉井勇

1960年(昭和35年)11月19日 歌人であり脚本家であった吉井勇が亡くなっています。
あの「かにかくに~」の歌碑でおなじみの方です。祇園白川沿いに、吉井氏が古希を迎えた年の1955年11月8日に、この歌碑は建てられました。
p8018.jpg
毎年、祇園甲部の芸舞妓が歌碑に白菊を手向けて吉井氏をしのぶ「かにかくに祭」が行われています。
かにかくに 祇園は戀し 寝るときも 
      枕の下を 水のながるる
勉強不足なもので、この歌しか知らなかったのですが、なかなか興味深い人物のようなのです。
伯爵家の生まれで、若くして胸膜炎(肋膜炎)を患って入院、
鎌倉の別荘へ転地療養した際に歌作に励み、『明星』に歌を発表。
耽美派の拠点となる「パンの会」を北原白秋らと結成しています。
『スバル』に戯曲を発表して脚本家としても名をあげています。
耽美頽唐な歌が多く、「遊蕩文学」とも呼ばれました。
最初の妻・徳子と離婚して隠居し、高知県香美郡の山里に隠棲しています。
創る歌も変化していったようです。
浅草仲見世に近い料亭「都」の看板美人と謳われていた国松孝子と再婚。
翌年、二人で京都へ移住しています。
第一歌集『酒ほがひ』に先の歌は入っていますが、『先達賛歌』という自選歌集の中に過去の人物について詠っているものがあります。

(小野道風)
道風が 自在の筆の あと見れば 
       玉泉帖は 字ごと飛ぶらし
三跡の 一人と思へば 道風の 
       文字はかしこし ほのぼのとして

(本阿弥光悦)
光悦の すぐれし文字の 冴えも知る 
       本阿弥切れの たふとさも知る

(池大雅)
いまもなほ 書の仙として おほらかに 
九霞山樵(きゅうかさんしょう) うそぶきたまへ

(良寛)
つくづくと 良寛の字を 見ておれば 
       風のごとしも 水のごとしも

吉井氏が、先達の人々を想い、詠ったこれらの歌が、個人的に結構沁みる感じがして、もっと知りたいと思うようになりました。

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