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2009年12月02日

細川忠興

正保2年12月2日(1646年1月18日)、細川忠興が亡くなっています。正室は明智光秀の娘・玉子(細川ガラシャ)です。父・幽斎と同じく、教養人・茶人としても有名で、利休七哲の一人に数えられ、茶道の流派三斎流の開祖です。

かなり、激しい性格のようで、女性の自意識を認めないような感じがあんまり好きではないですが、利休には可愛がられていたようですね。まぁ、利休も激しい人ですから、合うのかもしれませんね。

利休が秀吉から蟄居を命じられた際に見送りに行ったのも、古田織部と細川忠興二人だけで、この二人に茶杓を残して利休は切腹していますから、かなり密な間柄だったのでしょうね。

大徳寺高桐院は細川家の菩提寺で、利休から送られた石燈篭を三斎の墓石としています。
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秀吉が所望したこの石燈篭を、利休はわざと裏面の1/3を欠き、壊れ物だからと、秀吉の要望を退けました。その後、利休切腹の際に、忠興に贈ったといわれています。
この下に、忠興の歯が埋葬されているそうです。

利休は「天下一」という名前をこの石燈篭につけていたそうですから、秀吉が欲しがるのも無理からぬことですね。

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