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2010年02月07日

平 敦盛

元暦元年2月7日(1184年3月20日)平 敦盛が、17歳で亡くなりました。
一ノ谷の戦いにおいて、源氏側の奇襲を受け、平氏側が劣勢になり、騎馬で海上の船に逃げこもうとしたところを、敵将を探していた熊谷次郎直実に「敵に後ろを見せるとは・・・」と呼び止められ、首を取られた謡曲にもなっている物語です。信長の好んだ歌「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり。一度生を享け滅せぬもののあるべきか」も幸若舞の『敦盛』の一節です。

戦いの無情を感じた熊谷次郎直実は、敦盛の供養のために出家を志して黒谷に至り、鎧を洗い、それを松の枝にかけ、法然上人の門を叩きました。p7794.jpg
金戒光明寺の紫雲の庭のこちらの池が、その鎧を洗った池といわれています。p7719.jpg
御影堂横の松が鎧かけの松です。もとの松は枯れて、二代目という話ですが。
そして、右手前奥、蓮池の向こうにある勢至堂の前に向かい合って、建てられているのが、二人の供養塔です。p7714.jpg
手前側が熊谷次郎直実です。p7718.jpgp7717.jpg
向かい側が平 敦盛の塔です。p7716.jpgp7715.jpg

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