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2010年02月17日

後嵯峨天皇

文永9年2月17日(1272年3月17日)後嵯峨上皇が亡くなりました。53歳でした。

先日、ご紹介した四條天皇の次の天皇です。四條天皇が十二歳で崩じ、順徳天皇の皇子 忠成王と共に皇位継承候補にあがった土御門天皇の皇子 邦仁(くにひと)親王です。親王は、父 土御門院が承久の乱のより、土佐に配流されたため、不遇な暮らしを強いられていましたが、順徳天皇と違い、土御門院が直接、乱に加わっていなかったことなどから、幕府の意向で、即位が決まりました。立太子を経ず践祚、仁治3年(1242)3月18日に即位しました。
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寛元4年(1246年)に在位4年で皇子の久仁親王(後深草天皇)に譲位し、院政を開始。正元元年(1259年)には後深草天皇に対し、後深草天皇の弟である恒仁親王(亀山天皇)への譲位を促し、後深草・亀山二代にわたり院政をとりました。

そして、後深草上皇の皇子ではなく、亀山天皇の世仁親王(後の後宇多天皇)を皇太子にした事が、後の持明院統(後深草天皇の血統)と大覚寺統(亀山天皇の血統)の確執のきっかけとなり、それが南北朝時代、更には後南朝まで続く大乱の源となってゆきました。


袖ふれば 色までうつれ 紅の 
     初花染めに 咲ける梅が枝
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