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2010年05月06日

京都国立博物館「長谷川等伯」展

9日までとなりました「長谷川等伯」展ですが、前期の4月20日に訪れていました。桜の記事に押し出され、延び延びになっていました。
この日は雨天にも関わらず、1時間待ち状態で寒い中、うねうねと行列に並ぶことになりました。
音声ガイドをつけたのですが、18点の作品に対する解説で、ちょっと少ないのではないかと感じました。もっとも、語りは元NHKアナウンサーの松平定知さんだったので、「その時、歴史が動いた」という感じで嬉しかったのですが。
入場制限しながら館内に入るようになっていたので、展示はそこそこじっくり観ることができました。
第1章から第7章までに区切られての展示でした。今日は2章までのご紹介とします。

第1章 能登の絵仏師 長谷川信春

能登七尾に生れた等伯は、はじめ「信春」と名乗り仏画を描いていたようです。能登地方を中心に富山、新潟などに十数件の作品が残されています。
生家の奥村家、養子として迎えられた長谷川家ともに日蓮聖人を篤く信仰し、等伯自身も熱心な法華信徒でありました。絵師としての活動と、自らの信仰が密接に結びついていたようです。作品は、どれも緻密な書き込み、繊細な装飾、豊かな色彩あふれる完成度の高いものです。
作品は買い求めた図録よりのコピーです。
十二天像のうちの 「羅刹天像」p7002.jpg
十二天像のうちの 「梵天像」p7001.jpg
「日蓮聖人像」p6999.jpg
「善女竜王像」p7000.jpg
第2章 転機のとき-上洛、等伯の誕生-

元亀2年(1571)、33歳で、妻と幼い子息・久蔵を伴い上京した等伯は、本法寺の世話になりながら活動を始めますが、天正17年(1589)の、大徳寺三門の壁画制作の要請、同寺の塔頭・三玄院の水墨障壁画制作など、有名絵師の仲間入りを果たすまでの間の消息ははっきりしていません。
「牧馬図屏風」p6998.jpgp6997.jpg
山水図襖p6996.jpg
こちらが、三玄院の方丈を飾っていたものですが、春屋宗園に襖絵は入らないと断られ続けていたものを、春屋の留守中に上りこみ、一気に書き上げたものだといわれています。雲母刷り桐文様の唐紙の上への描画ですから、確かに不自然です。なんとしてもその力量を認めてもらいたかった田舎から出てきた絵師の心意気が伝わるようです。

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