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2010年05月08日

「長谷川等伯」展 その3

第4章 桃山謳歌-金碧画-

天正18年(1590)、等伯は造営奉行の前田玄以を頼り、狩野永徳一門が行っていた御所障壁画制作への割り込みを計ります。対屋と呼ばれる建物の障壁画制作です。
この企ては栄徳の必死の画策によって寸前で阻止されてしまいますが、等伯の存在がいかに大きなものになっていったかを物語っています。
その後、秀吉により、愛児・鶴松の菩提を弔うべく創建された祥雲寺の金碧障壁画を描くことになります。
「楓図壁貼付」p6991.jpg
「松に秋草図屏風」p6990.jpg
この他、桃山時代らしい金彩と壮大なスケールの作品が展示されていました。
「波濤図」p6989.jpg
「弁慶昌俊相騎図絵馬」p6988.jpg

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