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2010年06月20日

泥足地蔵尊

田植えのシーズンということで、田植えをなさったお地蔵さんを取り上げてみました。
六角通大宮西入るにある善想寺の正門横のお地蔵様は、泥足地蔵という呼び名で信仰を集めています。p6745.jpg
寺伝によると、比叡山延暦寺開祖、伝教大師最澄上人が一刀三礼して刻まれた霊像で、大師生涯の持念仏だそうです。大師亡き後は滋賀県坂本村にまつられていましたが、安土桃山時代 天正15年(1587年)にこちらの寺にお迎えして山門の横に地蔵堂を造られたとのことです。
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滋賀県坂本村にまつられていた時、田植えの季節に日照りが続き、村の作兵衛という人が三日三夜地蔵尊に祈念すると大雨が降りました。お百姓さんたちは喜び、田植えを終えることが出来ましたが、作兵衛は腹痛のため植え付けを出来ず、心配した百姓さん達が翌朝見に行くと田植えがすでに終わっていました。
不思議に思い地蔵尊にお礼参りにいくと、腰から足にかけて一面泥にまみたお姿で、このお地蔵さんが田植えせられたものと知れ、それから泥足地蔵尊と呼んで、いよいよ信仰が深まったという話です。

善想寺門前にまつられた後も、文化5年の秋 堺町の勘兵衛なるものの妻が難産で苦しみ、このお地蔵様に祈願を籠めたところ、無事出産することができ、地蔵尊に御礼を申し上げるとお顔一面に玉のような汗が流れて出ていたということです。それ以来、汗出し地蔵尊、身代わり地蔵尊ともよばれるようになったそうです。

お姿は、あまりお地蔵さまらしからぬ感じです。40センチぐらいの衣紋の線も美しい小像で、蓮台に座し左足を下方の小蓮座に置く形で、木彫ですが、黒ずんで泥にそまられたかのようです。

この他 こちらの寺には、墓地の入り口右手に平安末期から鎌倉時代の作という石仏があります。阿弥陀如来像で、風化しているため、お顔がはっきりしていませんが近くの古池の辺りに在ったと伝えられています。p6746.jpg
墓地内には、池坊家数代のお墓があります。p6744.jpg

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