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2010年07月27日

南蛮寺跡

大河ドラマでは、舞台が長崎に移り、踏絵をそっと踏む隠れキリシタンお元のシーンが出てきました。私も一応は仏教徒ながら、先日カトリック教会に足を踏み入れる機会を得、ふと京のキリシタン事情を調べてみたくなりました。

キリシタンの歴史は、教科書でおなじみのフランシスコ・ザビエルに始まりますが、その後も多くの宣教師が入洛し、京都を中心とした地域でも布教活動が行われ、織田信長の保護によって広まってゆきます。
永禄4(1561)年、京都市内に最初の礼拝堂が建設されますが、戦乱の町中にあって礼拝堂は荒廃、布教もままならない状態でした。
1569年、ルイス・フロイスは、入京した織田信長と二条城の建築現場で初めて対面。その信任を獲得し畿内での布教を許可され、グネッキ・ソルディ・オルガンティノなどと共に布教活動を行います。古くなった礼拝堂を再建することとなり、蛸薬師室町西あたりに3階建ての南蛮寺が建てられ天正4(1576)年に初ミサが捧げられました。p6579.jpg
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蛸薬師室町を西へ50メートルのところに石碑と案内板が建てられています。

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