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2010年07月31日

都の大殉教

1619年10月6日、鴨川の六条から七条の間、現在の正面橋のあたりで、将軍秀忠の命により、52人の信者が火あぶりの殉教を遂げました。うち11人は子供であったそうです。日本の大殉教と呼ばれる殉教は三つあります。1622年9月10日の長崎の殉教、1623年12月4日の江戸の殉教、そしてこの京都の大殉教です。いずれも元和年間のことで、元和の大殉教とも呼ばれています。
川端通正面橋の少し北に石碑が建てられています。p6571.jpg

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