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2013年06月05日

2013 第64回 京都薪能 第1日目

今年も、平安神宮の薪能を観に行きました。第64回の今年は~神・鬼・恋~をテーマの演目となり、観たい曲目が一日目にも二日目にもあったので、ちょっと疲れるけれど、二夜連続観劇することにしました。8-343.jpg

早くからの梅雨入りで、天候が危ぶまれましたが、予定通りに無事開催されたのは、皆様のお祈りのせいかしらん?一日目は営業日だったので、順番待ち行列参加が遅くなりましたが、なんとか最前列ゲットしました。8-342.jpg
第1日目
観世流能「玉井・貝尽」
金剛流半能「班女」
大蔵流狂言「お茶の水」
観世流能「恋重荷」

最初の曲目の「玉井・貝尽」は、海幸彦・山幸彦の神話を題材としています。彦火々出見徹尊(山幸彦)は、兄から借りた釣針を探しに海へと入って豊玉姫と出会います。貝の精達が二人の婚礼を祝い、酒宴を繰り広げた後、海神の宮主が大きな釣針を持って現れます。大龍の冠を戴いた宮主が舞を舞う前後では、ぱらぱらとした小雨になり、ちょっとはらはらしましたが、龍神様が引っ込まれるとそれも収まり、火入式となりました。8-341.jpg
観たかった「班女」は半能で、端折られていたのは残念でしたが、暮れ始めた空と薪の中に、糺の森で舞う花子が浮かび上り、幽玄の世界を満喫出来ました。お相手の吉田少将はいささか高齢のご様子で、扇と顔を見合わせ、再会を静かに喜ぶ姿が奥ゆかしくもありましたが、再会までの歳月が長すぎたのではないかしらんと余計な勘繰りをしてしまったのは、私の想像力不足かしらん。班女を題材にしたお気に入りの着物を着て行けなかったのもちょっと残念ではありました。8-339.jpg
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今年はパンフレット購入の際、いつもサインをお願いする茂山宗彦・逸平兄弟が不参加の為、静かなスタートとなってしまい、残念でした。
狂言「お茶の水」は、若い僧の恋の物語 千作さんが亡くなられたばかりの千五郎家御一家によるものです。千作さんは、この平安神宮で「福の神」を演じられたのを観たのが、最後となってしまいましたが、とてもすばらしくて、今でもしっかり脳裏に焼き付いています。演じているというより、福の神そのものでした。ご冥福をお祈り申し上げます。
ラストの「恋重荷」 こちらも観てみたかった曲目です。老人が、若くて身分の高い女性に恋をしてしまいます。類似した曲目に「綾の鼓」があります。弄ばれた老人が鬼神となって最後まで恨みつらみを云って去っていくのに対し、この「恋重荷」では、最後は貴妃の守り神となろうと云って終わります。個人的には昇華してしまうのが好きですが、執念の行きつく先の恐ろしさも見たいようでもあります。
「持てども持たれぬそも恋は何の重荷ぞ」持てるはずもない荷を持ち上げれば、一目女御に会えると、あはれにも持ち上げようと試みる様とその後の落胆・怒りがひしと伝わってきます。

女御としては迷惑な話で、無理ですから諦めて、そんなに色に出るような振る舞いはおやめくださいという気持ちを、持ち上げられない美しい荷で伝えようとしたのではとも思うのですが?女御の若さ、高貴さゆえの残酷さ、浅はかさと、舞い上ってしまった老人のうぶすぎる思い。
老人にしては、女御の気持ちを推し測れないというのも思慮に欠けるとも思えるのですが、恋をしてしまった老人には、辱められたとしか思えないのでしょうね。女御は思慮に欠けているのですが、美しすぎて存在そのものが罪作りです。老人にとっての重荷が、死なれてしまっては女御の重荷へとすり替わってしまったようにも思えます。あれこれ考えてしまう題材です。
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