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2015年05月01日

桃山時代の狩野派 永徳の後継者たち

5月17日まで京都国立博物館で、「桃山時代の狩野派 永徳の後継者たち」展が開催されています。ゴールデンウイークに入る前にと、観に行きました。表に行列用のテントが張られていましたが、平日のせいか、すんなり入れました。12-981.jpg
永徳  天正18年9月14日(1590年10月12日)の急死の後、文禄元年(1592年)、秀吉は三歳で没した鶴松の三回忌に建立した祥雲寺の障壁画制作を、長谷川等伯一派に命じています。新興勢力の台頭と、政治勢力の微妙な情勢の中、狩野派は、朝廷・豊臣・徳川の三者それぞれに別れて仕える事になります。狩野派存続を賭けて、意図的に行ったものなのでしょうか?気になるところです。
2015年は大坂の陣からちょうど400年にあたるそうですね。戦乱の世を生き抜いて、幕末まで生き延びた狩野派。その画風は、時代を感じ取って、変化してゆきます。なかなか、見ごたえがありました。

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