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2009年05月22日

大徳寺三門と千利休

大徳寺の総門を潜り少し歩くと、勅使門の後ろに朱色の三門が見えます。P9329.jpg
応仁の乱後、一休禅師の参徒連歌師宗長等が一階部分を寄進、その後に千利休により二階部分が設けられ金毛閣と名づけられましたが、そこに雪駄を履いた利休の等身の木像を置いたことが秀吉の怒りを買い、二年後の利休の切腹の1つの要因となります。P9328.jpg山門から引き摺り下ろされた木像は、一条戻橋のたもとで磔にされ、聚楽屋敷内で切腹した利休の首は木像の下に晒されたということです。
P9327.jpg
利休の聚楽屋敷は、戻橋のすぐ近く、今の晴明神社に隣接していたとの事で、石碑が晴明神社境内に平成16年10月に建立されました。

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