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2009年07月05日

蒲生君平

林子平・高山彦九郎と共に、「寛政の三奇人」の一人に数えられる蒲生君平は、文化10年7月5日(1813年7月31日)に亡くなっています。下野宇都宮出身の尊皇論者です。
油屋と農業を営む家に生まれましたが、祖先が立派な武士(蒲生氏郷公)だと聞かされ、学問で身を立て立派な人になろうと子供心に決意したそうです。

京都では歌人小沢蘆庵の邸に滞在して天皇陵(古墳)を研究しています。
丸太町通岡崎道西入る北側、ちょうど平安神宮の後ろ側 北東に小沢蘆庵の邸はありました。
P9001.jpg
貧困の中で、享和元年(1801年)『山陵志』を完成。その中で古墳の形状を「前方後円」と表記しています。現在の前方後円墳という呼び名はここからきているそうです。P9000.jpg

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