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2009年07月09日

堀河天皇

承暦3年7月9日(1079年8月8日)第73代天皇となる善仁親王(堀河天皇)は、第72代白河天皇と寵愛された藤原賢子の間に生まれています。
8歳で白河天皇から譲位され即位し、白河上皇の院政が始まります。
成人して関白が寛治8年(1094年)に藤原師通に代わってから、承徳3年(1099年)に師通が死去するまでの短い間は共に政務を行い、「末代の賢王」と評される賢帝であったといいます。
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堀河天皇が病弱だったこともあり、藤原摂関体制の弱体化と共に、白河上皇が再び政治の実権を握るようになってゆき、次第に政治から離れ、文化面にその才能を発揮していくこととなります。
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嘉承2年7月19日(1107年8月9日)に堀河殿において、二十九歳で崩御する様子が乳母子の典侍藤原長子「讃岐典侍日記」に記されています。P8976.jpg
二条城向かいの国際ホテル前に、内裏跡の石碑が建てられています。

千歳まで 折りて見るべき 桜花
          梢はるかに 咲きそめにけり

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