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2009年10月11日

千代の古道 生田口-大覚寺

昨日に続き、千代の古道を行きます。
生田口 大黒屋を右に曲がり、北上する道の右脇に立っているはずの石碑がありません。p8307.jpg道路も真新しく、右手は分譲中とあって、一時抜かれているのかも?もしくは近くに引っ越した?

さがの山 千代のふる道 あととめて
    また露わくる 望月の駒
          藤原定家
という歌が刻まれていたようなのですが・・・。

ともかく、北へ。新丸太町通から北へ上る山越通の右角にありました。p8306.jpg
いにしへの 千代の古道 年経ても
猶あとありや 嵯峨の山風
            後鳥羽院       
p8305.jpg
山越通を北へp8304.jpg
信号機の近くにありました。p8303.jpg
光孝天皇が、嵯峨天皇の例にならい、芹川に行幸した際に供奉した行平が詠んだ歌

さがの山 みゆき絶にし 芹川の
    千世のふる道 跡はありけり
         在原行平朝臣
p8302.jpg
道は左にカーブしてさらに進みます。別の道との合流地点に次の石碑がありました。p8301.jpg
里人も 千代の古道 幾かへり
   春の嵯峨野の 若菜つむらん
            藤原為家
小倉百人一首の定家の息子さんです。
p8300.jpg
さらに古い石碑もありました。p8299.jpg
少し進んで、29号線との交差点左側にありました。p8298.jpg
子の日せし 千代の古道 跡とめて
    昔を恋ふる 松も引かなん
            後嵯峨院
吉野の桜を取り寄せ、嵐山に植えた方です。嵐山の春の賑わいはこの方のおかげです。
p8297.jpg
交差点を左に曲がると、もうすぐ広沢の池です。
文徳帝の御陵を示す石碑p8296.jpg
横に、刻まれている文字 最後は千代の中道かと?p8295.jpg
広沢の池に出ました。p8294.jpg
池を通り過ぎたところ、右手に発見p8293.jpg
御幸せし 昔の秋の 跡とめて
紅葉をわくる 千代の古道
          村田春海
村田春海さんという人は江戸の歌人だそうです。
p8292.jpg
ここで、29号線から、北の方へ入ってゆきます。田んぼ道の曲がり角にありました。p8291.jpg
君が代の 千代の古道 ふりはへて
引くや子の日の 嵯峨の山松
         加藤千蔭 
この人も江戸の歌人だそうです。
p8289.jpg
生田口から、大覚寺までの歌碑は、「千代の古道」が歌に詠み込まれたものがセレクトされているようですね。

謡「小督」の中にも下の一節が出てきます。

所を知るも嵯峨の山 御幸絶えにし跡ながら
千代の古道たどり来し 行方も君の恵ぞと

そして、ようよう大沢の池に着きにけり~(^^)p8288.jpg

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