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2009年10月18日

梶女

櫛まつりの女性風俗の中に出てきたお梶さんについて、まとめてみました。
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江戸時代中期の歌人で、本名は梶。梶女とも祇園梶子(ぎおんかじこ、生没年不明)とも呼ばれています。祇園社の門前の簡素な水茶屋の娘でした。

梶女の‘歌人茶屋‘のたたずまい
        (近世畸人伝より)
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「祇園石之下鳥居下之方」に、その水茶屋「松屋」はあったそうです。
祇園社いまの八坂神社には、昔、石段下と東大谷参道の中ほどに東山通に面して〈下の鳥居〉があり、その脇あたりにあったのではないかということです。(南の正門脇とも?)
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独学で学んだ和歌が評判となり、通称‘歌人茶屋‘と呼ばれるほどで、彼女の歌を目当てに訪れる客が多かったといいいます。


こひこひて また一とせも くれにけり
     なみだの氷 あすやとけなん

14歳の時に‘歳暮恋‘との題を与えられて詠んだこの歌は、一躍、京中に知られました。

歌人冷泉為村にも歌才を愛されるほどで、伴蒿蹊著『近世畸人伝』などにも取り上げられています。その歌才は、旅人の口伝えに、全国に広まることとなりました。

市井の女性として初めての歌集『梶の葉』を上梓し、その挿絵は宮崎友禅斉が描きました。
序には宝永3年(1706)秋文月の日付があります。

七夕によみて手向け侍りし、
    世の人の あだし心に うつばさや
        一夜の星の たえぬちぎりを

菊と題して、
    つゆになほ にほいもふかく さきそふや
        秋のいろなる 庭の白菊


春帰らんといひて、故郷へ行きける人のもとへ、
    春こんと いひし言のは たがへずば
        さかでや花も 人をまつらん

夕立
    ゆふたちの はれて涼しき くさむらは
        秋とやいはん つゆのつきかけ

立秋、
    秋きぬと けさより袖に ふく風の
        おとはかはらで 身にやしむらん

むかしを思い出づる事侍りて、
    つらくのみ すぎこしかたを しのべとや
       うきひとりねに たてる俤(おもかげ)

言い寄る人も多かったようです。
    君故に まよひ来にけり あづまじの
        しのぶこころを 哀ともみよ
と、恋の歌を手渡されて、さらりと返しています。
返し
   われにのみ なにかはまよふ あづまじや
        また異方に 人忍ぶらん

生涯独身で、百合子という女児を養女とし、店を継がせました。百合子とその娘の町子(池大雅の妻、玉瀾)も歌人として知られています。
                         

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