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2009年10月25日

松林寺

平安京の内裏跡を歩いていて、真新しい門に出会いました。中をのぞくと、よくブログで目にしていた風景が・・・。p8178.jpgp8177.jpg
聚楽第の遺構(外堀の一郭)が残ることで有名な、松林寺です。門が新しくなってしまったのですね。p8175.jpg
通称「やす寺」と呼ばれる浄土宗鎮西派寺院です。
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大内裏の諸殿舎は、火災や大風などでたびたび被害を受けその都度復興されましたが、11世紀になって天皇が大内裏外の里内裏に常住するようになり、豊楽院は康平6年(1063)年焼失、朝堂院は治承元年(1177)年焼失、ともに再建されませんでした。

13世紀になるとほとんどの殿舎を失い、大内裏の跡地はいつしか内野(うちの)と呼ばれる荒れ野になりました。
聚楽第は豊臣秀吉の京都における邸宅として、この内野に建築されました。天正13年(1585)に関白に任官後、翌年から聚楽第の造営を始め、同15年年に完成しました。聚楽とは「長生不老の楽しみを聚(あつ)」めるという意味です。
文禄4年(1595)の秀次の謀反の疑い、高野山に追放、切腹の後、聚楽第は破却されました。

江戸時代初期,二条河原町付近に創建された松林寺は、元禄(1688~1704)の初年にこの地に移転したそうです。

さらに、興味を引かれるのは、幕末期に京都見廻組の与頭・佐々木只三郎がこの松林寺に寓居していたと伝えられている事です。
慶応3年(1867)の近江屋での坂本龍馬・中岡慎太郎暗殺に関与していたとも言われる人物ですからね。

なんとも忙しい歴史がここに眠っています。
頭の中で、光源氏と姫君がた、秀吉に秀次、佐々木只三郎が走り回ってしまいます(^^)

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