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2009年10月26日

後白河天皇 即位

久寿2年(1155年)近衛天皇が崩御すると、鳥羽上皇は美福門院(得子)の養子となっていた守仁親王(二条天皇)を即位させたいと考えますが、守仁はまだ年少であり、尚且つ存命中である実父の雅仁(後白河天皇)を飛び越えての即位は如何なものかとの声が上がったため、やむなく中継ぎとして雅仁を立太子しないまま29歳で即位させる事としました。

7月24日、後白河天皇、高松内裏(高松殿)にて践祚(せんそ)
9月、鳥羽法皇主導によって守仁の立太子
10月25日、もしくは26日、後白河天皇即位

(桓武天皇以後、三種の神器を先帝から受け継ぐことを践祚、皇位についたことを天下に布告することを即位というようになりましたが、現在はその区別は無くなっています。)

本来、新帝践祚→即位→立太子の順で行われるものが、この時は順序が逆であったそうです。
中京区姉小路通釜座東入北側(高松神明社前)
p8174.jpg
この付近が高松殿址となっています。p8172.jpgp8173.jpg
その後の保元の乱(1156年)では、ここが天皇方の拠点となり源義朝や平清盛が参集しましたが、平冶元年(1159年)に焼失しました。

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