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2010年02月03日

本阿弥 光悦

寛永14年2月3日(1637年2月27日)本阿弥 光悦(ほんあみ こうえつ)が亡くなりました。江戸時代初期の書家、陶芸家、芸術家です。

元和元年(1615年)、徳川家康から鷹ヶ峯の地を拝領し、芸術村(光悦村)を築きました。光悦は、本阿弥一族や町衆、職人などの法華宗徒仲間を率いて移住し、創作三昧の日々を送り、その地で亡くなっています。

大坂夏の陣のおりに、豊臣方に内通したという罪状で古田織部が切腹を命じられたあとです。
光悦は、二条城において家康から板倉勝重を通じて、「近江・丹波抔より京都への道に、用心あしく辻切追はぎをもする所」を拝領しました。家康の真意がどのようなところにあったのでしょう。洛中所払いなのでしょうか?僻地とはいえ、えらく広大な土地ですが。

ではそれまでは、光悦はどこで暮らしていたのかと調べてみると、結構近所でした。
上京区油小路通五辻下る東側に石碑が建てられていました。 白峯神宮の東側の通を少し上ったところです。p7734.jpgp7733.jpg

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