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2010年02月05日

西八条殿 若一神社

前日よりのつづき
出家後の清盛は、福原に在住することが多く、この西八条の邸宅には主に妻 時子が住まいする事となりました。清盛が没した2,3日後、蓬壺より出火、焼失。再興されましたが、都落ち(1183年)する際に、平氏自らが放った火で豪壮な邸宅は完全に焼失しました。

平清盛が、蓬(よもぎ)を愛し、壺庭に植えていたことから「蓬壺」とも称されていたそうです。

若一神社内には、銘水の若一神社神供水が湧き出ています。p7729.jpg

平清盛公熊野詣での折、御神託により仁安元年(1166年)11月10日、西八条殿内に隠れたる御神体を世に出し、社殿を建立し奉斎して以来、日供祭(にっくさい=毎朝行われる崇敬者の安寧を祈るお祭り)にて御神前に供えられてきた御神水だそうです。古くから銘水として知られる地下水で、開運出世の水として、新生児誕生に際しての産湯としても有名だそうです。

p7728.jpg
樹齢800年を超す大樹が通沿いに植えられています。平清盛が太政大臣に任ぜられたのに感謝して手植えしたものだそうです。若一神社の御神木となっています。大樹の下には楠社(くすやしろ)が建てられ大楠を祀っています。
昭和八年(1933)の西大路通の開通整備の際に、敷地が大きく削られ、クスノキの根も一部切断されましたが、この御神木自体の撤去作業は清盛の祟りがあるとして作業が中止されたようです。西大路通が曲がっているのはこのためです。

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