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2010年02月26日

悲田院

悲田院(ひでんいん)は、仏教の慈悲の思想に基づき、貧しい人や孤児を救うために作られた施設の事で、聖徳太子が隋にならい、大阪の四天王寺に四箇院の一つとして建てられたのが日本での最初とされています。

養老7年(723)には、奈良・興福寺内に施薬院と共に設けられました。平安京にも、病人や孤児の収容所として、東西2カ所の悲田院が建てられました。
東は鴨川の西畔 三条河原、西は上京区扇町児童公園付近にありました。p7581.jpg
壇林皇后の建てた西の悲田院は、応仁の乱で廃墟となり、その址に天正14年(1586)、虚応和尚が由緒あるこの場所を惜しんで建てたのが大応寺です。大応寺は臨済宗相国寺派に属しています。
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正保2年(1645)に悲田院は、皇室と泉涌寺との関係から、泉涌寺(東山区)に移りました。p7590.jpg
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境内からは、市内を一望できます。
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