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2010年05月29日

龍馬伝 外伝 -河田小龍 その6-

中国の故事・歴史画ばかりでなく、日本の歴史物も多く描いています。
安宅の関図p6867.jpg
日野阿新丸p6866.jpg
万延元年(1860年)3月、桜田門外の変の折、江戸にいた小龍の末弟の三吉郎は、現場に駆けつけ、その状況を小龍に伝えたそうです。9月には、「門刺奇観」としてその変の様子を小絵巻に描き記しています。
南朝の故事を多く描いていることから、勤皇の絵師ともいわれていますが、多くは明治に入ってから、要請を受けての制作のようです。
長寿や、豊饒を祝う縁起物も多く手がけていて、瓢逸で、笑える作品もあります。
百福笑図p6860.jpg
個人的には、このあたりの作品が好きですね。

さて、龍馬伝ではいよいよ半兵太が投獄されました。翌年切腹ですが、ドラマはまだしばらく引っ張るようです。一足早く、切腹場所となった南会所跡である高知市帯屋町の武市瑞山殉節の石碑画像です。
p6863.jpg
幕末から維新にかけて、小龍は絵を描いていられる状況では無くなっていました。慶応年間より、明治3年まで、画塾も閉じられていました。塩田の失敗から、浦戸の家も手放していて、九州から公務を終えて戻っても家がないありさまでした。p6862.jpg
平成17年に、南はりまや町の電車通り脇に「河田小龍生誕地・墨雲洞跡」碑が建てられました。料亭得月楼本店東側で、小龍の生まれた所から30㍍ほど離れているということです。p6861.jpg

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