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2010年06月09日

第61回京都薪能 -舎利(金剛流能)-

薪能 最後の演目は金剛流能の「舎利」でした。陽も とっぷりと暮れて薪の暖かさが心地よく感じられました。p6802.jpg
この演目の舞台となるのは、泉涌寺の舎利殿で、2月に訪れ、謡曲の場面を想像して、その気分を満喫したばかりでしたから、イメージも膨らみやすかったです。p7697.jpgp7696.jpg
あらすじは2月の泉涌寺 舎利殿のページをご覧下さい。http://www.zuzu.bz/ownerblog/2010/02/post_461.html
泉涌寺の舎利殿は、開山俊律師が熱願された舎利を、弟子の湛海律師が安貞2年(1228年)に宋朝より将来し遷座した貴重な霊殿です。足疾鬼がこの仏舎利を奪い取って逃げるのですが、この舎利信仰というものが、不信心な私には今一ぴんとこないところなのです。
そもそも仏舎利(ぶっしゃり)とは、入滅した釈迦が荼毘に付された際の遺骨及び棺、荼毘祭壇の灰塵を指すもので、お寿司屋さんの「しゃり」の語源でもあるといいます。
日本に仏教が伝わった時には仏像や経典が中心であったようで、その後の日本書紀の記述で舎利を納めた事も記されています。その後、空海が大量の仏舎利を持ち帰って以降、日本において仏舎利信仰が再燃したようです。ふーんとか思っていたのですが、先日「鬼龍院花子の生涯」を久しぶりにテレビドラマバージョンで見て、ちょっとその信仰の理解への糸口をつかんだように感じました。

名セリフ「なめたらいかんぜよ!」と観月ありさが言い放って、警官を払いのけ立ち去るシーンですが、死んだ恋人の遺骨を分けてもらいたいと庭に土下座して頼む松枝に、すげなく追い出そうとする遺族。
啖呵を切ってその場を立ち去るも、どうしても遺骨がほしかった松枝の気持ち、死んだ兄の気持ちを察し、妹が追いかけてきて、分けとった遺骨を差し出す場面。
恋人の遺骨なら、どうしてもほしいという気持ちは理解できますね。恋人の遺骨とお釈迦様の遺骨では、ちょっと違うかもしれませんが、ニュアンスはつかめた様な?

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