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2009年06月02日

本能寺の変

天正10年6月2日 旧本能寺において、明智光秀に襲われた織田信長は、自害しました。小川通蛸薬師の角に古い方の石碑が立っています。P9273.jpg
現在の本能寺は、寺町御池下がったところにありますが、「本能寺の変」の頃には、このあたりにありました。
本能寺は、応永22年下京区五条坊門(仏光寺通)油小路に創建された本門法華宗の寺で、本応寺と号していましたが、後に改められました。
市内各地を転々として、天文14年に、この地に移っています。
当時は、東は西洞院通から西は油小路通、北は六角通から、南は錦小路までの広い範囲にあり、周囲は堀がめぐらされて、城郭風の造りとなっていました。
焼け失せたあと、天正17年(1589)、この地に再建しようとした上棟式の当日に、豊臣秀吉より鴨川村(寺町御池)の地に移転を命ぜられ、現在に至っています。P9272.jpg
この跡地には現在、老人ホームが建ち、新しい石碑が、油小路蛸薬師下がったところに造られています。
石碑にあるように、本能寺の「能」の字は、火災を避ける意味から、右側のつくりが「ヒがふたつ重なったもの」ではなく、「去」という漢字が使われています。
昨日、17代目の織田家末裔として知られるフィギュアスケート男子の織田信成さんが現在の本能寺を参拝されたようです。バンクーバー五輪での“天下統一”へ向けて、信長パワーをもらったそうです。

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