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2009年10月13日

大政奉還

慶応3年10月13日(1867年11月8日)、江戸幕府第15代将軍徳川慶喜は二条城に上洛中の40藩の重臣を招集し、大政奉還を諮問。
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10月14日に慶喜が統治権返上を明治天皇に上奏。
翌15日に天皇が上奏を勅許しました。

ここに土佐藩士 後藤象二郎(ごとうしょうじろう)が活躍しています。
龍馬の案である「船中八策」をもとにした大政奉還案を土佐藩の藩主 山内容堂に伝え、それを藩論とし、徳川慶喜に京都二条城にて受け入れさせています。

土佐藩大監察として武市瑞山を党主とする土佐勤王党の断罪を行った人ですが、後に龍馬と親交を深め、龍馬の脱藩の罪を許されるよう、尽力しています。
 
二条城へ向かう後藤象二郎を、龍馬が励ます書簡も残っています。そこには、大政奉還がなされなければ、切腹するよう勧め、あなたが城から出てこない時は、海援隊を率いて慶喜を討つ覚悟である事が書かれています。これに対し、後藤はあまり早まるなと諌め、二条城に向かっています。

そして、夕方、後藤から「只今下城、大樹公政権を朝廷に帰す之号令を示せり」という手紙が届き、龍馬は涙を流して「良くぞご決意遊ばされた。」と喜んだといいます。

この後藤さんがもう少し細かい気配りのある人で、龍馬を土佐藩邸に入れていたら、龍馬も死なずに済んだかも~。

ところで、小松帯刀は天保6年10月14日(1835年12月3日)の生まれですから、大政奉還の日は32回目のお誕生日にあたりますが、どんな思いで、この日を迎えたのでしょうか?

3日後の17日、西郷吉之助(後の隆盛)、大久保一蔵(後の利通)と共に京を出発し、鹿児島に向けて帰国しています。お誕生日どころではなかったのでしょうかね~。

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