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2009年10月16日

藤原道長 

寛仁2年10月16日(1018年11月26日)は、道長の三女 威子の立后の日です。この日、道長の邸宅では諸公卿を集めて祝宴を開き、「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」と詠みました。
この歌を詠んだのは、道長の邸宅 土御門第で、現在の京都御苑内 仙洞御所のあたりです。

一条天皇に長女の彰子を入内させ皇后(号は中宮)とし、次の三条天皇には次女の妍子を入れて中宮となすも、三条天皇と対立、天皇の眼病を理由に退位をせまり、彰子の生んだ後一条天皇の即位を実現して摂政となる。
摂政を嫡子の頼通に譲り後継体制を固め、後一条天皇には三女の威子を入れて中宮となし、「一家立三后」と驚嘆されたというのが、この歌に至る道長のサクセスストーリーです。ただ、この歌は自身の日記には記されてはいません。実資の日記に書き残されて現代に伝わっているものです。

退位を迫られた三条天皇が、月を見て詠んだ歌は、小倉百人一首にも入っている次の歌です。

心にも あらでうき世に ながらへば
    恋しかるべき 夜半の月かな

長和4年(1015年)12月に詠まれたもので、翌年正月に退位、さらにその翌年に崩御されています。

もっとも、道長の月もすぐに欠け始めたようで、その後間もなく、病がちとなった道長は、出家して、土御門殿の東に御堂を立て、法成寺阿弥陀堂を完成させ、来世の幸福を望むようになりました。
上京区荒神口通寺町東入北側に石碑が残るのみです。
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