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2010年01月22日

豊臣秀長と大光院

天正19年1月22日(1591年2月15日)豊臣秀吉の弟の豊臣秀長が亡くなりました。後年、大和郡山城を与えられ、従二位権大納言に叙せられて、大和大納言と呼ばれていました。
温厚な人柄で兄の補佐役として諸大名からも頼りにされる人格者だったようです。「内々の儀は宗易(千利休)、公儀の事は宰相(秀長)」といわれる存在であったのに、早くに病死してしまったのは、残念なことです。朝鮮との戦いに反対していましたが、秀長の死の2ヶ月後、出兵されています。
その菩提寺は、当初は大和郡山にありましたが、藤堂高虎によって北区紫野大徳寺町に移されました。p7780.jpgp7781.jpg
文政7年(1824年)に焼失しましたが、後に藤堂家によって再建され、現在は大徳寺山内にあります。

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しらない! 知らない!!

どこ?、何処??

大徳寺西側の今宮門前通から、大徳寺塔頭の孤篷庵(こほうあん)へと西へ入って少しのところ、道の南側に建っています。紫野高校横です。

  • zuzu
  • 2010年01月23日 09:32
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