2009年09月30日
夢窓疎石
観応2年9月30日(1351年10月20日)鎌倉時代末から南北朝時代、室町時代初期にかけての臨済宗の禅僧 夢窓疎石が亡くなりました。
晩年は臨川寺を以って隠居所とし、この寺で没しています。

後醍醐天皇の皇子世良親王が元翁本元を開山として招いて創建しようとしたが、親王が建立する前に没したために、父の後醍醐天皇が1335年(建武2年)夢窓疎石を開山として建立しました。
ちればとて 花はなげきの 色もなし
我がためにうき 春の山風
まろくても まろかるべきは 心かな
角のあるには 物のかかるに
(角があると、物がひっかかるというのは、さすがに、うまい事をおっしゃるものですね~。)
雲よりも 高き所に 出でてみよ
しばしも月に へだてやはある
(宇宙船に乗ればいいのか! もちろんそういう次元の話ではありません。)
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- by zuzu
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- in 011京都 洛西
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遍照寺の御堂跡と見られる遺構が平成4年に史跡に指定されたそうですが、立ち入りできない場所にあるようで、見る事ができませんでした。



























この地に尊王派の志士達が集まり、昼夜を問わず激論が交わされていたのでしょうか。先生と呼ばれる存在であったようですが、龍馬とは、あだ名で呼び合う間柄だったようです。







































































こちらの種まきは、6月下旬~7月下旬で、収穫は10月半ば~12月いっぱいまでです。















この時奏でていたのが、琴の秘曲「想夫恋」だそうです。

川縁に咲いていた花



寄っていかんかえ?